Posted on 02/20/2023 at 20:13, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『罪を取り除かれるイエス様』(新約に引用されている旧約 その37)(2023.2.19)

そして証人の手が最初に彼の上にあり、あなたは殺し、民の手は最後になる。そしてあなたは彼らの中から悪人を取り除かなければならない(申命記17章7節/七十人訳の日本語訳) /外部の人たちは、神がおさばきになります。その悪い人をあなたがたの中から除きなさい (①コリント5章13節)

◆はじめに…今年になって背中に出来たアテローマが少しずつ大きくなって痛みだし、昨日患部の切開術を受けました。アテローマは、本来、体外に排出されるはずの古い角質や皮脂が、皮膚内部に形成された袋の中に溜まってしまうものです。 “膿を出す”ということわざがありますが、化膿した部分を切開して膿をすべて取り除き、蓄積された悪い習慣や弊害などを根本から取り除き、本来の姿に回復すること、それが今日のみことばのテーマです。

◆悪(罪)を除く…今日のテキストにおける悪い習慣や弊害は、偶像崇拝・不品行です。ただそれを形式(律法)的に裁き、懲らしめ、最終的に死刑に処するといったことではありません。軽率な告発を思いとどまらせ、悔い改め(人生のやり直し)の機会をつくることが、主ご自身の本来の目的です。そのため裁く者も、罪を裁かれる者も、主の前で慎み深く、かつ、責任を持つことが求められます。旧約時代、偶像崇拝は極刑(石打ち刑)が定められていました。ですから最初の目撃(証言)者が、最初に石を投げることになっていました。ですから最も重い責任を負わされていた訳です。

◆肉を滅ぼす…事情は、パウロの生きた時代も同じでした。ただ、コリントの教会は世の流れに抗うことをせず、むしろ偶像崇拝の世に同調し、不品行が教会内部にもまん延し、放任状態だったようです。「(…)あなたがたの中から取り除こうとして悲しむこともなかった」(①コリント5章2節)とパウロはコリント教会の人たちの姿を指摘し、「肉が滅ぼされるためにサタン(世)に引き渡した」(同5節)と、裁きを宣告しています。しかし、これは単に教会から破門(除名)することが目的ではなく、「彼の霊が主の日に救われるため」(同)と、世の荒波の中で病、苦難、生死の境(すなわち“肉の滅び”体験)を経験することで、結果として悔い改めと救いに与るためなのだ、そうパウロは語ります。

◆罪のない者が最初に石を投げよ…イエス様も、裁きを命じます。「罪のない者が、最初に彼女に石を投げなさい」(ヨハネ8章7節)。このイエス様の律法に基づきながらも律法を超え、愛の律法の本質を貫くみことばによって、裁く者には自らを省みさせ、裁かれる者には新しい人生のやり直しの機会を作りました。

◆結び…私たち一人ひとりの罪を取り除いてくださる主イエス様に感謝します。

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