Posted on 11/20/2024 at 21:57, by matsumoto
「(…)主がほめたたえられますように。主は私の主人に対する恵みとまこととをお捨てにならなかった。主はこの私をも途中つつがなく、私の主人の兄弟の家に導かれた。」(創世記24章27節)
◆はじめに…昨日は、私の勤める社会福祉法人で全職員(参加者約150人)の『虐待防止研修会』がありました。はじめに九州看護福祉大学の先生の講義があって、その冒頭で、「残念ながら人間は虐待をする生き物なんです。グループの中で異質な存在があると排除しようとする。本能としてそういう気持ちを持っていると把握(意識)しておかないと、自分は関係ない、自分はやらないはずだと思い込んでしまい、結果、虐待をしてしまうことになる」と指摘されました。そして虐待に及んでしまう最も大きな要因が“怒りの感情”で、それに支配されないベストな方法は“一時、その場から離れる”ことだと話されました。
◆イシュマエルの追放…アブラハムとサラには長い間、子どもが与えられませんでした。悩んだ末、サラ(サライ)は、当時の社会の風習に従って、女奴隷のハガルを自分の代わりにアブラハムに側室として与え、結果、ハガルはみごもり、イシュマエルを産みました。この一連のことでサラとハガルの間に確執が生じ、サラはハガイを虐待しました(創世記16章6節)。その様子を見て、イシュマエルは育ち、サラに待望の子、イサクが生まれます。そしてイサクが乳離れの頃、イシュマエルが“イサクをからかっていた”現場をサラは目撃しまた(同21章9節)。この「からかう」というのは、ヘブル語は性的な表現です。サラは性的虐待の影響でイサクが子孫を作れなくなり、アブラハムの遺産と約束を受け継ぐことができないようになるのではないかと心配し、イシュマエル母子を出て行かせるようにアブラハムに訴えたと考えられます。その後あの“イサク奉献”の出来事が。
◆墓の購入と嫁捜し…そしてサラは生涯を閉じます。この時、アブラハムは1ミリの土地も所有していませんでしたし、後継ぎのイサクは40歳間近でしたが結婚していませんでした。主の約束はこの時点では何一つとして実現していませんでした。しかしアブラハムは悲嘆に暮れることはありませんでした。まず妻を葬るための洞窟を法外な値段を支払って買い取りました。そして後継ぎのイサクの嫁捜しを始めました。主は約束を決して反故にする方ではないと信じ切っていました。嫁捜しの命を受けた最年長のしもべは、嫁候補のリベカに出会ったとき、その驚きと感謝の思いを「主は私の主人に対する恵みとまことをお捨てにならなかった」(同24章27節)と主を礼拝しました。この箇所が恵みとまことが最初に出て来るところです。アブラハムに対する主の約束の始まり、源です。
◆結び…イエス様ご自身が恵みとまことに満ちておられ、イエス様において恵みとまことが完全に実現した(ヨハネ福音書1章14、17節)ことを感謝します。
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