Posted on 12/15/2024 at 20:47, by matsumoto
あるとき、ヨセフは夢を見て、それを兄たちに告げた。すると彼らは、ますます彼を憎むようになった。(創世記37章5節)
◆はじめに…私たちはアドベントの時、イエス様の降誕を旧約のアブラハムにまで遡り、創造主の人類救済の愛の物語(御業)を振り返りつつ、その約束が確かなことを覚えます。今日は第三アドベントで「バプテスマのヨハネのキャンドル」です。
◆荒野で叫ぶ声…バプテスマのヨハネは、救い主なるイエス様を世の人々に、いち早く証しました。荒野で悔い改めのバプテスマを授け、多くの弟子を持っていたヨハネは、自己アピールでも自己承認でもなく、主イエス様を指し示し、主の顕れを人々に備えることに徹していました。自らを「キリストではない」「エリヤでもない」(ヨハネ1章20、21節)と、自分はただ脇役として「荒野で叫ぶ声」だとしました。その歯に衣を着せぬ言い分は、ヘロデヤの恨みを買い、首をはねられ亡くなりました(マルコ6章14-29節参照)。しかしその声は今も荒野で響き続けています。昨日、NHKのEテレで『こころの時代』の再放送でカソリックの修道士、小崎燈明さんが取り上げられていました。17歳の時、長崎で被爆し、自ら怪我はなかったのですが、助けを求めて足にしがみつく少年を置き去りにしたりしたそうです。そこで自らの本性「助けない」「逃げる」「赦さない」を突き付けられたと言います。
◆夢を告げるヨセフ…ヨセフは、自身の見た夢を、何の遠慮もなく、兄たちに語りました。ヨセフのたばねた束に、兄たちの束ねた束がおじぎをするという夢でした。それは兄たちにとっては屈辱的に聞こえ、ヨセフに対して憎しみを抱き、殺意にまで膨らみました。この夢によって、ヨセフはエジプトに売られ、濡れ衣を被せられ、監獄に入れられ、忘れられ、一縷の希望も潰えたかのようになりました。しかしこのどん底からヨセフの人生は一転しました。パロの夢を解き、総理大臣の地位に抜擢され、全世界的な飢饉の時に、兄たちが食糧を求めてヨセフのいるエジプトへやってきました。様ざまなやり取りの後、ヨセフは自らを兄たちに明かし、穴に突き落とされ、エジプトに売られた一連の出来事は、主がいのちを救うための出来事だったとし、責めたり、断罪したりせず、許しました。
◆人となったことば…ヨセフがエジプトに売られる出来事をある意味、決定づけた出会いがあります。創世記37章15節に“ひとりの人”が現れます。ヨセフとこの人との出会いがなければ、ヨセフは穴に突き落とされ、エジプトに売られる出来事は起こらなかったでしょう。私たちの人生にも、その時には意識もせず、些細な、しかし大事な“ひとりの人”との出会いがあるのではないでしょうか?
◆結び…私たちの人生にとって最も大切な“ひとりの人”はイエス様です。
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