Posted on 01/05/2025 at 21:43, by matsumoto
あなたがたは、私に悪を計りましたが、神はそれを、良いことのための計らいとなさいました。(創世記50章20節)
◆はじめに…新しい主の年2025年、明けましておめでとうございます。昨年は日本においても、私たち個々人においても波乱の幕開けとなりましたが、このように新年最初の礼拝を共に捧げられ感謝です。これも主の恵みと憐れみの他、何ものでもありません。今年もますます主に信頼して、共に一歩一歩、生ける主の証しを立てて歩ませて頂きたいと願っています。いとすぎキリスト教会が「神の家族」として主の祝福と赦しの源流になるよう、祈ります。そのような思いから2025年の年間主題を『神の家族-祝福と赦し』とさせて頂きました。
◆家族…主題聖句は創世記の最後の章の一節からです。ある本が何について書かれているかは、その終わり方を見ることで理解できます。創世記は天地創造から書き始められていますが、それに終始している訳ではありません。天地創造は私たちが生きる上で必要な周辺環境の整備です。その主が用意して下さった環境の中で、私たちがどう生きるかが、最重要テーマです。最終的にはアブラハム、イサク、ヤコブ、そしてエジプトにおいてすべてを手に入れたと言っても過言ではないほどの地位に登りつめたヨセフへと引き継がれてきたものは、土地、国家、政治、経済、権力、富の蓄積ではなく“家族”です。創世記のメインテーマは、無から有を生み出す創造主の力を、選ばれた民が手にすることではなく、“家族”についてです。“家族”から、私たちが一緒に生きることが始まるからです。
◆祝福と赦し…以外にもアブラハムがその子、イシュマエルとイサクを祝福したという記録はありません。イサクはエサウとヤコブを別々に祝福しています。ヤコブは死の床で、息子たちを枕元に一同に集めて祝福しています。併せてヨセフの子ら(ヤコブにとっては孫)も祝福しました。ヨセフは兄弟らを赦しました。彼らが危害を加えようとしたことを、「神が善を計ったのだ」と出来事を再構築しました。父親が生きている間は、息子らは家族内で復讐をしないというのが当時の原則でした。父親が亡くなったら…。ヨセフは不安な彼らに直接語り、彼らを安心させます。「あなたたちは私を傷つけようとしたが、神はそれを善とされた」と。創世記は世界の創造についてではなく、家族の対立をどう扱うかについて書かれています。家族は対立を乗り越え、祝福と赦しの現場です。イエス様は神の家族として弟子たちと寝食を共にし、赦しと祝福を与え、今を生きる私たちに赦しと祝福の家族を築くよう、指針を示して地上生涯を終え、昇天されました。
◆結び…主イエス様が私たちに託された、赦しと祝福に満ちた神の家族を築く主の年2025年となるよう、心より祈ります。
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