Posted on 02/08/2025 at 11:40, by matsumoto

『ルアハ(聖霊の息)』(ユダヤ人キリスト者と共に シャラフ=送った)(2025.2.2)

あなたは、あなたの杖を上げ、あなたの手を海の上に差し伸ばし、海を分けて、イスラエル人が海の真中のかわいた地を進みゆくようにせよ。(出エジプト記14章16節)

◆はじめに…先週、初めて柳川の「どんこ船」に乗って「川下り」を体験しました。火鉢で足元を暖めた「こたつ船」で、船にはエンジンは無く、船頭さんの竹竿一本で掘割をゆっくり移動し、花の香りや冷たい風も心地よく、往復約一時間の船旅?でした。行きは追い風で滑るように船は移動しましたが、帰りは向かい風で船頭さんが満身の力を込めて棹をさし、無事に船旅を終え、船着き場へ。黙示録21-22章にある新天新地の都の中央を流れる「いのちの水の川」に想いを馳せたひと時でした。

◆葦の海(紅海)を渡る…過越のいけにえをささげ、主によってエジプトを出る準備が整い、イスラエルの人々はモーセに率いられて旅立ちました。ところが程無くして、圧倒的な軍事力を誇るエジプト軍が追って来ます。前方は葦の海(紅海)で背後はエジプトのえり抜きの戦車部隊。絶体絶命の状況です。モーセに対してイスラエルの民は非難ごうごうです。「エジプトに墓がないから荒野で死なせる気か」「エジプトに仕えるほうが荒野で死ぬより良かった」と。そこで主はモーセに「杖を上げて海を分け、進め」と仰せられます。モーセがそのようにすると海は分かれ、道ができ、イスラエルの民は干潟(ひがた)を歩いて進みました。

◆ルアハ(聖霊)、どんでん返しの霊…徒歩で旅する一団が、高度に訓練された戦車兵の軍隊から逃れることができる状況は、泥だらけの海底を通る場合だけです。強い風(ルアハ=聖霊=神の息)だけが、その状況を作り出すことができるのです。強者は今や無力であり、一方、無力な者は自由へと向かって歩み出しました。ルアハ(聖霊)は、“どんでん返し”の霊です。「先の者が後にあり、後の者が先になる」(マタイ20章16節)「わたしの力は、弱さのうちに完全に現われる」(②コリント12章9節)のみことばを現実のものとする力です。

◆安息日…物理的な風であるルアハが水を分けてその下の陸地を露わにされるのと同じように、人間の精神であるルアハも、人生に、より深い意味を露出させることができます。安息日はイスラエル人がエジプトを去ったときに最初に受けた命令のひとつです。一週間の内の一日、主が吹きかけられる聖霊の息吹を受けることで、私たちは霊的に主と共に生きる力を得ます

◆結び…新しい週、新しい月のはじめに、主が聖霊の息吹を吹きかけて下さり、私たちを新天新地へ向けて、立ち塞がる人生の荒海を分け、一足一足、導いて下さっておられることを感謝します。

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