Posted on 05/11/2026 at 05:52, by matsumoto

ユダヤ人キリスト者と共に ケドシーム(聖なる民)(2026.5.10)

《聖書箇所》レビ記19:1-20:27/アモス9:7-15/ルカ10:25-37/ローマ13:8-10

 

《ギホンの泉》~分かち合いの呼び水~

聖なる風、愛のしるし

「わたしが聖なる者だから

あなたがたも聖なる者であれ」

その呼びかけは、雲の上からではなく

乾いた土の上、日々の暮らしの中に響く

畑の隅に残された落ち穂

それは、誰かの空腹を満たす神の余白

量りの中に潜む誠実さ

それは、見えない神の目を映す鏡

人は「私の隣人は誰か」と問い

自分を守るために境界線を引くけれど

主は「誰の隣人になったか」と問い

震える手でその線を消してゆく

倒れた幕屋を興す主の指先が

傷ついた旅人の傷口に触れるとき

祭司の儀式よりも、レビ人の知識よりも

サマリア人の流した涙が、聖所を清める

「盗むな」「殺すな」「偽るな」

幾千の戒めが目指した終着点は

ただひとつの、シンプルな言葉

「あなたの隣人を、自分のように愛しなさい」

愛は、決して返しきれない美しい負債

愛は、律法という重荷を喜びに変える翼

私たちが境界を越えて、誰かの痛みを抱くとき

聖なる神の吐息が、この世界に吹き抜ける

神を愛すること、隣人を愛すること

その二つの鼓動が、ひとつの歌になる

愛こそが、完成された聖さ

愛こそが、永遠に枯れない命の約束

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