Posted on 06/07/2026 at 06:47, by matsumoto

ユダヤ人キリスト者と共に バミドバル(荒野にて)(2026.6.7)

《聖書箇所》民数記1:1-4:20/ホセア書2:1-22/ルカ2:1-7/①コリント12:12-31

《ギホンの泉》~分かち合いの呼び水~

『主の数え方』

国が記録簿に私たちを ただの「数字」として書き込むとき

宿屋の隅にも 私たちの場所はなかった

弾き出された暗闇のなか

飼い葉桶の冷たさのなかで

まことの王は 産声をあげられた

世の枠からはみ出した 小さな私を見つけるために。

主の記録簿は それとは違う

荒れ野を行く 果てしない足音のなかに

無駄な名前など ただの一つもない

あなたはここを歩みなさいと

一人ひとりに 固有の持ち場が手渡される

たとえ私たちが そこを逃げ出し

愛を忘れて 道に迷っても

「あなたはわたしのもの」と

泥にまみれた手をとり 再び抱きしめる

あの激しいほどの 約束の炎。

いま、私たちは集められ ひとつの身体になる

目は手に「要らない」とは言えず

足は「私なんか」と うつむくこともない

形が違うからこそ 補い合い

ひとりが痛めば みなで涙を流す

私たちは 交換のきく部品ではなく

生きて血の通う キリストの体。

世の数字に 惑わされることはない

主があなたを そして私をそこに置かれた

あなたにしか 生きられない場所がある

今日もその居場所で 軽やかに息をして

互いの存在を 喜び合おう。

いのちの泉は今日も静かに湧き続ける

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