Posted on 01/22/2011 at 22:33, by matsumoto

十字架(李天秀著・松元信行訳『牧会断想』より)

神の息子を誰が殺すのか? 悪魔は絶対に神の子に触ることは出来ない▼髪の毛一本にすら触れることも出来ないのである(Ⅰヨハネ5:18)▼それならば、天使がそんなことをするだろうか? 天使は、神の息子に仕えるために送られたのである(ヘブル1:14)▼では、神のしもべ達が神の子を殺すのであろうか? それも不可能である▼神のしもべ達は、喜んで神の子と共に死ぬことを喜ぶからである▼ならば、一体、誰が神の子を殺すのであろうか? それは、まさに人々である▼自分の利益のために、誰かを殺さねばならない獣のような人々である▼獣のような人々は、自分の目の前の利益のために、神の子を殺して喜んだのである▼神の子も、贖罪の供え物として自分自身を死に渡すべきことを知って、喜んで死を受け入れたのである▼殺されて死んで、地の喜びと天の喜びが満ち溢れたのである(へブル12:2)▼天の喜びを望む者は、地上で自分を殺す者を喜んで受け入れるべきである▼これは、自由に選ぶことではないからである▼死ぬことは選択することが出来るが、殺されることは、その意味を悟るならば、誰もしようとはしない。

そして、ひざまずいて、大声でこう叫んだ。「主よ。この罪を彼らに負わせないでください。」こう言って、眠りについた。(使徒7:60)

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