Posted on 03/17/2013 at 05:43, by matsumoto
今日のみことば
そのころ、イスラエルには王がなく、めいめいが自分の目に正しいと見えることを行なっていた。(士師記21章25節)
■ はじめに…先週、会堂建設予定地に建っている廃屋内の整理を、家内と呉(おう)神学生がしました。私も様子を見に入りましたが、それはまさに“ゴミ屋敷”でした。自分達だけではどうにもならない状態でしたので、リサイクル業者に大物の処理を頼むことに。
■ ゴミの山が宝の山に…物が散乱して“ゴミ屋敷”状態だったものが、分別し始めると一つひとつの物は高価な物ばかり。新品同様のスキーウェアに封も切っていないCD、数十万はする一眼レフのカメラに記念コイン等々…。以前ここに住んでいた人は、いったいどんな暮らしをしていたのでしょう。
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■ 開拓は創造の業…この世(地)の始まりも混沌(こんとん)としていたと聖書は創世記で記していますが、そこから神様は創造の業を始められました。開拓伝道もいうなれば創造の働き。混沌に秩序を、ゴミを宝に変える業でしょう。
best prices for all customers! buy generic prednisone online . online drugstore , buy cheap prednisone no prescription. ■ 価値なき者を用いられる…今日の聖書のテキストは士師記の最後のところですが、イスラエルの民の混沌ぶりが記されています。それでも主は民を見捨てず、霊的指導者を立て、民を導かれました。その霊的指導者一人ひとりは世的には差別を受けて、いろいろな面で問題を抱えている人々でした。卑しい身分の出であったり、女性であったり、障がい者であったりしました。たとえば左ききのエフデ(士師記3章15節)。ヘブル原語では“右手が縛られて使えない”となっています。主は、世的には不完全で不自由な者を選んで用いられます。世的には価値がないように見えても、主の目には高価なのです。主は、私たちに対してマイナス評価ではなく、徹底してプラス評価をしてくださいます。
■ 結び… buy estrace online , buy estrace cream cheap, buy ethinyl estradiol uk . 新しい週、皆さんお一人ひとり、霊的混迷の時代のなかにあって、クリスチャンとして世の光、地の塩としての使命を果敢に果たしていくよう、祝福して祈ります。
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