Posted on 07/14/2013 at 06:01, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『共に暮らし、共に礼拝する』(結語シリーズ 旧約篇その23)(2013.7.14)

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毎月の新月の祭りに、毎週の安息日に、すべての人が、わたしの前に礼拝に来る。」と主は仰せられる。(イザヤ66章23節)

■    はじめに…先主日、主の祝福の中で、起工式を終えることができました。式典に参列して下さった皆さま、そして式典を覚え、祈って下さった皆さまに感謝します。今秋、礼拝堂完成予定になっています。この間、工事関係者の健康と安全が主にあって守られるよう、お祈りします。

■    聖書の中の聖書…さて、今日のみことばはイザヤ書です。このイザヤ書は、『第五福音書』とも『小聖書』とも言われています。それはイザヤ書の構造が、聖書全体の構造をしているからです。聖書全巻で66巻=イザヤ書66章、旧約39巻の内容(罪とメシヤ待望)=イザヤ書前半39章までの内容、新約27巻(福音書の解放宣言から黙示録の新天新地の啓示)=イザヤ書後半40章-66章(27章)。イザヤ書は“聖書の中の聖書”と言えます。それはあたかも人間が宇宙(コスモス)の縮図(ミクロコスモス)であるかのようです。イザヤ書を知れば、おのずと聖書を知ることに通じると言えます。

■    新天新地での礼拝… purchase discount medication. dapoxetine price in egypt . dapoxetine is used as a treatment for premature ejaculation. buy dapoxetine online! その最終章で、「すべての人が、わたしの前に礼拝に来る」と預言されています。私たち信仰者の究極の目標がこれです。地にあっても、そして天においても主の前で共に“礼拝する”ということです。礼拝が、私たちの生命と力の源です。そのために私たちは、主の使者としてこの地の果てまで遣わされ、証しをし、伝道します。ここから漏れることは、黙示録で言うところの「第二の死」(ハデス、ゲヘナ)という“火の池”に投げ込まれることを意味します。

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■    教会…共に礼拝することを切望する私たちは、他人の不幸を喜ぶ者ではなく、不完全な者どうしが互いに和合して暮らす者(詩篇133篇1節、マルコ9章50節参照)です。そのための“教会”です。それも画一的なものでなく、多様な姿の教会(イザヤ66章20節参照)なのです。そんな教会のひとつとして、小さな“いとすぎ教会”がこの地に、主の許しのなかで存在しているのです。

■    結び…新天新地での礼拝を望み見ながら、新しい週、互いに和合して暮らす一週間となるよう、祝福して祈ります。

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