Posted on 09/22/2013 at 06:12, by matsumoto
あなたのような神が、ほかにあるでしょうか。あなたは、咎を赦し、ご自分のものである残りの者のために、そむきの罪を見過ごされ、怒りをいつまでも持ち続けず、いつくしみを喜ばれるからです。 (ミカ書7章18節)
■ はじめに…先週の17日(火)、義母(家内の実母)が亡くなりました。翌日、両親の暮らす金沢の義兄宅へ。そして通夜、葬儀。葬儀は、義父が日蓮宗の檀家なので仏式(日蓮宗式)に。
■ 母はキリスト者…余命数カ月という状況を病院から聞いていたので、私たち(主に眞津代牧師)は頻繁に金沢の母の見舞いに出かけていました。その度に病床の母の手を握り、傍らでみことばを伝え、一緒に賛美をしていました。最後の見舞いのとき母は「今がいちばん幸せ」と言い、ヨハネ3章のみことばを朗読している間、手を組んでじっと耳を傾け、その後、私たち祈ると、はっきり「アーメン」と答えました。「イエス様信じてる?」と問いかけると「前から信じとった」と答えました。死の間際、母は信仰の告白をしたのです。
■ 四面楚歌… order online at usa pharmacy! top quality medications. generic name of amoxil . free delivery, buy amoxil online uk. purchase zoloft online. fastest shipping, zoloft online canada. buy baclofen online, generic baclofen 10 mg, generic baclofen images. 当然のことながら葬儀には親戚が一同に会しました。しかし家の宗教とは違う私たちに対して警戒心と冷ややかな視線が。まさにミカ7章6節のみことばの状況でした。このみことばは、12弟子の派遣に際して、イエス様が①与えなさい、②平安を祈りなさい、③あかししなさい、④耐えなさい、⑤恐るな…等々、忠告している記事がマタイ10章にありますが、その35節に引用されています。四面楚歌の中で私たちは、ただ主を仰ぎました(ミカ7章7節)。
■ 罪を海の深みに…母との別れが悲しいというよりも、大切なものを見失っている周囲の親戚の振る舞いに悲しみと怒りの感情が溢れて来ました。しかし、主の目から見たら私たちも同じ。その私たちの罪、咎を二度と思い出さないようにと、主はそれを海の深みに投げ入れて下さったのです。別の言い方をすれば、私たちの罪を十字架にはりつけにして下さったのです。十字架を見上げるとき、悲しみと怒りは消え、喜びと感謝だけがが腹の底から湧き上がってきます。義母は今、主のふところに抱かれていることでしょう。
■ 結び…永遠のいのちを与えて下さる主に栄光がありますように。
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