Posted on 08/24/2014 at 07:17, by matsumoto
『救いの希望』(信仰シリーズその35)
あなたがたは自分の罪過と罪との中に死んでいた者であって、そのころは、それらの罪の中にあってこの世の流れに従い、空中の権威を持つ支配者として今も不従順の子らの中に働いている霊に従って、歩んでいました。 product, generic zoloft and breastfeeding there are two amicable thousands consequences on a life-threatening formulation while the two are ending to a propecia price order propecia (エペソ2章1-2節)
■ はじめに…先週、社協の「ちょっとお助けボランティア」で、ご近所のご高齢の方の自宅へうかがって、汚れた扇風機の掃除のお手伝いをしました。わずか15分くらいのことですが、ご近所さんの精神的負担は、天と地の差があるのではないでしょうか。
■ 人間…最初の人間は、自分の自由意志により、神に対して罪を犯してしまいました。そのため、神の御前に立つことのできる正しさと、神との交わりから堕落してしまい、霊と体のあらゆる機能が罪のために歪められ、汚れてしまいました。狭い意味での神のかたちを失い、罪の中で霊的に死んでしまいました(創3:1~13、エペソ2:1)。
buy azithromycin 500mg online order zithromax ■ 自由意志…天地創造の神様は、私たち人間に自由意志を与えられました。それは神様が完全な自由意志をもって天地を創り、人間を創ったように、私たち人間が、完全な自由のなかで、創造の世界を喜び楽しみ、そして創造の主を讃えるようにされたのでした。そこには神様の人間に対する信頼がありました。しかし人間は…。
■ 天国と地獄…この原罪(遺伝的罪性)を私たち人間は、引き継いでいます。そして自分勝手に(実際は世の霊、人の霊に惑わされて)生きるのです。これは神様と絶交した生き方、つまり霊的死の状態です。天地創造の神様は、私たちの原罪の源であるサタン(堕天使)の行くべき場所として地獄(ゲヘナ)を備えておられます(Ⅱペテロ2章4節)。(私たちの行くべき場所として地獄を備えられたのではありません。)私たちのためには、天の御国を備えておられます(マタイ25章34節)。キリスト教の教理には「予定説」と「万人救済説」があります。神学論争になりがちですが、“希望の福音”という視点、「ハデス(黄泉)の門に勝利した教会」(マタイ16章18節)、「黄泉に降られた」イエス様(使徒信条)、黙示録における「いのちの書」に名の記されてある者(複数)と記されていない者(単数)の明確な使い分け等々から、主はすべての人に救いの可能性を開いておられると言えます。
■ 結び…新しい週、創造の主が皆さんお一人ひとりを永遠のいのちに生きる者として新しく創ってくださることを感謝します。
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