Posted on 09/14/2014 at 03:20, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『唯一なる仲介者』(信仰シリーズその38)(2014.9.14)

 

神は唯一です。また、神と人との間の仲介者も唯一であって、それは人としてのキリスト・イエスです。(Ⅰテモテ2章5節)

  • はじめに…先週の9日は“中秋の名月”でした。「月月に月見る月は多けれど 月見る月はこの月の月」と詠われたように、この9月(陰暦8月15日)の満月は、古から日本人にとって特別な存在です(アジアの人々にとっても)。
  • イエス・キリスト…イエス・キリストは完全な神であると共に、完全な人間です。イエス・キリストのこの神性と人性との二つの異なった性質は変化もせず、合成もせず、混合もせず、分離もせず、分割もしないで、一つの人格の中において結合されています。それにより、イエス・キリストは、神と人との間の唯一の仲保者であられます(ヨハネ1:1、14、ピリピ2:6~7、ガラテヤ4:4、Ⅰテモテ2:5)。
  • 唯一とは…単独とか孤立とかを意味するのではありません。単独、孤立は自我を徹底させた形です。それはいずれ、いのちを失うことになります(マルコ8章35節)。唯一とは“本物”と言い換えて良いでしょう。それは真理であり、道であり、いのち(ヨハネ14章6節)であり、それはイエス・キリストです。
  • 人(アダム)…イエス様は、徹底して人(最後のアダム)としてこの地上で生き抜かれました。高みから見下ろす方ではなく、地を這うようにして生きた人々とともに生きられました。イエス様の立ち振る舞いを見ることで、この世で私たちがどう生きれば良いか、その生きる姿勢が分かります。古代ギリシア教父・オリゲネスは、月を教会の暗示と解釈しました。私たちが見上げるのは、教会のかしらなるイエス・キリストです。
  • 仲介者…一般的な意味での仲介者は、中立的な立場で、商取引や紛争の解決のための仲立ちをする者です。しかし神と人との仲介は、中立ではなく、自らのいのちを差し出し、罪人を救う者です。このことを踏まえて今日のテキストを霊訳すると次のようになります。立って仕える(他に“耐え忍ぶ”、“生き延びる”の意あり)者としての主は、中立な方でははなく、罪人の私たちに近づかれ、触れ、一体となられる方。その主は、復活され今も生きて、いのちの御霊で私たちを満たしてくださっています(Ⅰコリント15章45節)。
  • 結び…新しい週も、私たちを聖霊で生かしてくださる主に栄光がありますように。

You can follow any follow up comments to this entry through the RSS 2.0 feed.

Comments are closed.

アーカイブ ログイン お問い合わせ