Posted on 10/04/2015 at 04:38, by matsumoto
祭りの終わりの大いなる日に、イエスは立って、大声で言われた。「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい(…)心の奥底(腹)から、生ける水の川が流れ出るようになる」(ヨハネによる福音書7章37-38節)
- はじめに…本当に今年の秋は、風が爽やかで、空気も澄んでおり、草花が輝いて見えます。人も土地もまったく回復、解放するヨベルの年を実感します。
- 仮庵の祭り…先主日27日の日没からユダヤ教では「仮庵の祭り(スコット)」が祝われています。エジプトから約束の地までの荒野の40年を導かれた恵みの主への感謝を献げることが主題です(レビ記23章42-43節参照)。本主日はその7日目で“ホシャナ・ラバ(偉大なるホサナ)”、そして日没から8日目、すなわち「祭りの終わりの大いなる日」となり、“シムハット・トーラー(トーラー歓喜祭)”、明朝の“ミスフ・ハ・マイーム(水を注ぎ出す祭り)”の最終日へと続きます。
- 主が仮庵となられた…ヨハネ福音書1章14節に「ことばは人となって、私たちの間に住まわれた」と記されてありまが、「住まわれた」という言葉には“仮庵となられた”という意味があります。主ご自身が仮庵となられ、荒野の40年、イスラエルの民を導かれたように、今のときも、荒野の人生を歩む者を恵みで包んで下さっています。
- 生ける水…そのイエス様が、公生涯最後の仮庵の祭りのとき、「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい(…)心の奥底(腹)から、生ける水の川が流れ出るようになる」(ヨハネによる福音書7章37-38節)と、大声で叫ばれたのです。渇くことのない生ける水とは、聖霊のことです。祭りの期間中、毎朝、柳を祭壇の隅に立て、シロアムの池から汲んだ水を注ぎかけました。萎れた柳は、シロアムの水を注がれると、生気を取り戻しました。イエス様から遣わされた聖霊を受ける者(柳)は、いのちを取り戻し、内側から聖霊の力(祈り)が溢れ出るようになるのです。川の流れが巡り、生きとし生けるものに、いのちを与えるように、聖霊による祈りの連鎖が、人を活かすのです。
- 結び…仮庵となって皆さんを包み、聖霊を遣わして祈りの連鎖で皆さんを活かして下さる主に栄光がありますように。
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