Posted on 07/17/2016 at 04:27, by matsumoto
青色、紫色、緋色の撚り糸、撚り糸で織った亜麻布で垂れ幕を作る。これに巧みな細工でケルビムを織り出さなければならない。(出エジプト記26章31節)
- はじめに…先週の月曜日、叔父が亡くなったとの知らせがありました。叔父は私と私の弟のことを自分の息子のように可愛がってくれました。叔父についての思い出はいろいろありますが、その内で最も印象に残っていることは、阪神大震災の時、破裂した水道管から漏れ出る水を求めて集まって来た人たちの見守りをしていたことです。
- 垂れ幕=イエス様…垂れ幕はイエス様を象徴しています。青=神の子、紫=王、緋色=神のしもべ、、亜麻布(白)=罪のない聖なる御子を表わしています。「巧みな細工」(聖霊の御業)とは、両側に美しい模様が見えるように織られているということです。つまりイエス様の麗しさを、人も父なる神も見ている(あるいはイエス様が人と父なる神をご覧になっておれる)ということです。
- 四本の柱…垂れ幕は、金をかぶせたアカシヤ材の四本の柱につけられていました。「四」は“すべて”“誰でも”を意味する数字です。そして四本の柱は銀の台座の上に据えられていました(出エジプト26章32節)。つまり贖い金(一人あたり銀半シェケル)で作られた銀の台座ですから、キリストの贖いの上に据えられた、すべてのキリスト者です。黙示録に記されてあるとおりです(黙示録3章12節)。
- 仕切りであり入口…垂れ幕は聖所と至聖所を仕切っていました。そして年に一度だけ、大祭司が垂れ幕を通って至聖所に入ることができました(ヘブル9章7節)。しかしイエス様が十字架に掛かられ、霊を渡されたとき、(神殿の)垂れ幕は上から下まで真二つに裂け、永遠の贖いが成し遂げられられ、このときから、いつでも大胆に恵みの御座に近づくことができるようになったのです(マタイ27章51節、ヘブル9章12節、ヘブル4章16節)。垂れ幕は私たちの肉の身体(自我)であると同時に、キリストの身体です。私たちの自我が裂かれ、キリストの身体が裂かれるとき、創造の主のことばを聞き、親しい交わりが完全に回復されるのです。
- 結び…イエス様の十字架の贖いによって罪赦され、永遠のいのちに生かされている喜びを分かち合う皆さんお一人ひとりであるよう、祝福して祈ります。
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