Posted on 08/07/2016 at 19:23, by matsumoto
庭の周囲の柱はみな、銀の帯輪を巻きつけ、その鉤は銀、台座は青銅とする。
(出エジプト27章17節)
- はじめに…昨日、リオ五輪2016が開幕しました。開会式で、04年アテネ大会の男子マラソン銅メダリストのデリマさん(ブラジル)の手によって、聖火台に火がともされました。デリマさんは競技中、暴漢に走行を妨害されるというハプニングがありながらも完走し、銅メダルを獲得。「金よりも輝く銅メダリスト」として多くの人々からの賞賛を得ている方です。
- 亜麻布の掛け幕…今日は、幕屋の庭の周囲について、共に御言葉を学びます。庭の周囲には亜麻布が張り巡らされており、外の宿営から内側のすべてを見ることは出来ませんでした。また、人の住まいと神の御住まいが亜麻布によって隔てられていました(出エジプト27章9節)。亜麻布はキリストの義なる人性の象徴です。掛け幕の全長は280キュビトです。280は、人の妊娠期間と同じです。つまり律法の下に女(マリヤ)から生まれたキリストを表しているのです。内側は、このキリストの義によって守られ、外側に向かっては、キリストの義を示す(証しする)ことを意味します(Ⅱコリント6章17節参照)。
- 教会としての柱…亜麻布の掛け幕は、60本の柱の鉤に掛けられていました。この柱の台座は青銅、頭のかぶせ物と帯輪は銀で作られており、ひもと釘で固定されていました。つまり柱は、上はキリストの贖いの冠がかぶせられ、さばきとしての青銅を足の下に置き、あるがままの姿でしっかりとキリストにつながれて荒野に立っている教会を象徴しています。
- 門…そして東側に、庭に入る門の幕(マーサーフ)があります(創世記3章24節)。この幕が聖所、至聖所、つまり神との交わり、神の御臨在に近づく唯一の門なのです(ヨハネ10章1、9節)。人の義によって神の恵みを乗り越えて神に近づくことは出来ず、ただ義となられたイエス様を通ってのみ、神と出会うことが出来るのです。その救いの門なるイエス様のために柱が立てられています。そしてイエス様はすべての人の救いのためにこの地に来られたのです。
- 結び…新しい週、私たちを通してイエス様が働いて下さり、一人、そしてまた一人と、救いに与かる魂との出会いがあるよう、祝福して祈ります。
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