Posted on 08/28/2016 at 21:07, by matsumoto
もはや、のろわれるものは何もない。神と小羊との御座が都の中にあって、そのしもべたちは神に仕え、神の御顔を仰ぎ見る。また、彼らの額には神の名がついている。(ヨハネの黙示録22章3-4節)
- はじめに…先週、鎌倉へ導かれ、鶴岡八幡宮でとりなしの祈り(祝福の宣言・聖霊の油注ぎ)をしてきました(民数記6章22節-7章2節、エゼキエル37章1-14節)。その後、「シオンの丘の上教会」で礼拝を捧げました。主は、私たちに祝福を選び、祝福することを求めています。人の力ではなく、人を通して働く聖霊の力が、祝福の基です。主は、荒野に幕屋を設け、汚れた地、のろわれた地のただ中に、御住まいを設けられ、祝福された聖域の地境を広げられます。
- 黙示録における7つの祝福…黙示録には“幸い”すなわち祝福ということばが7カ所出てきます。祝福の内容は、①朗読する者、心に留める人々②主にあって死ぬ者③目をさまして、身に着物をつける者④小羊の婚宴に招かれた者⑤復活にあずかる者⑥ことばを堅く守る者⑦都にはいれるようになる者です。
- 神の幕屋を目指して…黙示録21章3節に「見よ。神の幕屋が人とともにある。神は彼らとともに住み、彼らはその民となる。」とあります。また、旧約最後の巻マラキ書には、「彼は、父の心を子に向けさせ、子の心をその父に向けさせる。それは、わたしが来て、のろいでこの地を打ち滅ぼさないためだ。」(マラキ4章6節)とあります。福音は“神の幕屋”を目指していることが分かります。それは主が永遠に私たちとともにおられ、絶えず御顔を私たちの方へ向けておられるところです。主の御顔を仰ぐとき、私たちは金、銀、銅よりも輝くのです(詩編34篇5節)。
- 御顔の輝く御座へ…その主の御顔の輝きを仰ぐことのできる天の御座に私たちを招き入れるために主が再臨される、その確かな希望を記したものが、このヨハネの黙示録です。しかり「わたしはすぐに来る」(黙示録22章7、12、20節)と主は約束して下さっています。
- 確かな希望に向かって…この確かな希望に向かって語られる黙示録のメッセージをともに聞いていきたいと願っています。
- 結び…新しい週、主の輝く御顔を慕い求めつつ、御国の希望を持って歩むお一人ひとりであるよう、祝福して祈ります。
You can follow any follow up comments to this entry through the RSS 2.0 feed.
|