Posted on 09/18/2016 at 20:11, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『エペソにある教会その2(黙示録 その4)』(ヨベルの年)(2016.9.18)

写真=真鍮製の踏み絵(切支丹遺蹟博物館所蔵)

 

耳のある者は御霊が諸教会に言われることを聞きなさい。勝利を得る者に、わたしは神のパラダイスにあるいのちの木の実を食べさせよう。(黙示録2章7節)

 

  • はじめに…先週、名古屋にある「栄国寺」に行ってきました。お寺なのですが、キリシタン関連の貴重な品々を展示した「切支丹遺蹟博物館」を併設しています。2百点余りの展示品のうち、最も目を引いたのが真鍮製の「踏み絵」です。それを目にしたとき、心の琴線がピンと張られる感じがしました。
  • 黙示録の伝える希望…繰り返しになりますが、黙示録は希望のメッセージです。創世記のアダムとエバ以来、食べることが禁じられていた“いのちの木の実”を食べる権利を与えられ、都にはいれるようになる(黙示録22章14節)、すなわち新しいエルサレムを整え、花婿なるイエス様が私たちを迎えに来て下さる希望です。
  • エペソ…エペソの名の意味は「弛み」です。日常生活、信仰生活がマンネリ化して、油断している状態と言えるでしょう。夜中にイエス様(花婿)が来たとき、ともしびのための油の用意がなかった5人の娘のような状態です(マタイによる福音書25章参照)。幕屋であれば、聖所の燭台の火が消えないように朝夕、奉仕する祭司が、油を切らしてしまうようなものです(出エジプト記27章20節参照)。油が切れて光を照らさない燭台は用をなしません。つまり油は聖霊ですから、聖霊が器に満ちていなければ、いのちが輝かないし、愛が枯れてしまい力がなくなります。
  • 愛のきずなで引く…また、幕屋の周囲は、垣がめぐらされていましたが、その垣の1本1本の柱は、青銅(真鍮)の台座に載せられ、釘とひもで、しっかり支えられていました。ホセア書に「わたしは、人間の綱、愛のきずなで彼らを引いた」(ホセア書11章4節)とあるように、あがないと復活のイエス様が、しっかりと私たち一人ひとりを倒れないように引っ張って支えていて下さいます。キリシタン迫害のとき、踏み絵を踏んだ人は罪あがなわれ、また踏まずに斬罪された人は復活のいのちに生かされた、そう信じます。
  • 結び…イエス様と隣人に対する“初めの愛”に立ち返り、新たな日々を歩み出す皆さんであるよう、祝福して祈ります。

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