Posted on 08/13/2017 at 18:58, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『第一の復活にあずかる者は幸い』(黙示録その36)(2017.8.13)

 

この第一の復活にあずかる者は幸いな者、聖なる者である。この人々に対しては、第二の死は、なんの力も持っていない。彼らは神とキリストとの祭司となり、キリストとともに、千年の間王となる。(ヨハネ黙示録20章6節)

  • はじめに…8月9日、「ノーモア ヒバクシャ」ということばで、今年の長崎平和宣言が語られました。「このことばは、未来に向けて、世界中の誰も、永久に、核兵器による惨禍を体験することがないように、という被爆者の心からの願いを表したものです。(…)これはゴールではありません。」“絶対悪”である原子爆弾によって広島では14万人超、長崎では15万人超の尊いいのちが一瞬にして奪われました。当時の惨状を伝える際、黒く焼け焦げて散らばる多数の屍(しかばね)、髪は縮れ真っ黒い顔をした人々等々、具体的な名は伝えられません。つまり人格がまったく無視されてしまうのです。
  • いのちの書…原爆死没者名簿には、現在、広島30万3195名、長崎17万2269名の名が記されてあります。その名を確認しようと調べてみましたが残念ながら閲覧することはできないようです。聖書には「人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっている」(ヘブル9章27節)とあります。死後、最後の審判がある訳ですが、その審判の材料になる数々の書物があり、そのひとつに「いのちの書」があり、その中には一人ひとりの名前と生き様が詳細に記されてあり、その内容に基づいて裁きがなされるのです。
  • 第二の死…「一度死ぬ」というのは、いわゆる肉体の死です。その死後に、最後の審判のためにすべての人はよみがえらされる訳です。そして「いのちの書」に名のしるされていない者の結末は「火の池」であり、これが「第二の死」といわれるものです。『第一の死は、霊魂が自己の意志に反して肉体から飛び出すことであり、第二の死は、霊魂が自己の意志に反して肉体の中に留まるようにされること』とアウグスティヌスは言います。
  • 第一の復活…みことばは語ります。第一の復活にあずかる者は幸いな者、聖なる者である。この人々に対しては、第二の死は、なんの力も持っていない。「第一の復活」の初穂がイエス・キリストです(Ⅰコリント人への手紙15章20、23節)。そしてキリストに続く者があります。
  • 結び…聖霊様の内住で満たされ、自由に日々を生きる皆さんであるよう祈ります。

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