Posted on 05/21/2019 at 08:30, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『絶望の中に寄り添われる主』(イエス・キリストの生涯 その64)(2019.5.20)

(…)話し合ったり、論じ合ったりしているうちに、イエスご自身が近づいて、彼らとともに道を歩いておられた。(…)(ルカによる福音書24章13-35節)

  • はじめに…私の友人は三度、癌がいやされ、証しをいとすぎ教会のブログに掲載しました。友人と私は、主の「いやす」との約束のことばを握りしめ信頼して時を過ごし、主が共にいて下さることを体験したのです。エマオという村に逃げ帰ろうとするクレオパもまた、主イエス様を体験し霊の目が開かれ主の証人になりました。
  • クレオパ…エルサレム教会の初代リーダー、ヤコブの後に立ったのがクレオパです。彼はイエス様の弟子としていつも遠巻きにイエス様の言動を注視していたのでしょう。その彼はどんな気持ちでエルサレムを離れ、故郷に向かっていたのでしょうか?
  • 霊の目がさえぎられて…クレオパたちは目前の事件に驚きと恐怖を抱いていたと思われます。二人で話をしている中にイエス様が話しかけてもイエス様には気付きませんでした。私たちは何事もない時には「主よ感謝します」と言いますが、いったん事が起こると目の前の事にとらわれてイエス様を忘れ、そして自分の考えに振り回されてしまいます。
  • 目が開かれる…話しかけられた方がイエス様だと気づかない二人。ところがイエス様がパンを裂かれる様子を見て二人の目が開かれた、とルカは証ししています。五千人の給食の事、また共に食事をした事、その過去のイエス様との体験を走馬灯のように思い出し、目の前の方がイエス様だと分かったのです。その復活のイエス様のことを他の人に話しても誰も信じませんでした(マルコ16章13節)。それでもクレオパは復活されたイエス様が絶望の中にいる時、歩み寄って下さったこと、語って下さったことを語り、力強く人々を導いていったのです。
  • 共に歩まれるイエス様…辛い時、私たちは本当に神様はいるのか、いるならなぜ助けてくれないのか、と言います。これからどのように生きていったら良いのか分からない、そんな絶望の中にある私たちのただ中にイエス様は寄り添って、共に歩んで下さっています。そして私たちの目を開いて下さいます。
  • 結び…どんな困難な道でも、困難だからこそ、イエス様は共に歩んで下さいます。

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