Posted on 03/22/2026 at 19:30, by matsumoto

ユダヤ人キリスト者と共に ペクデイ(2026.3.22)

《聖書箇所》出エジプト記38:21-40:38/①列王記7:51-8:21/黙示録15:5-8

 

《ギホンの泉》~分かち合いの呼び水~

 

主の栄光、幕屋に満ちて

指先が覚えている、金の重みと布の感触

「主の命じられた通りに」

その一言を積み重ね、私たちは幕屋を立てた

人間の最善を尽くし、祈りの場所を整えたとき

空から降りた聖なる雲が、すべてを優しく、厳かに包み込んだ。

かつて父が夢見た約束の場所

ソロモンが築いた石の神殿に、またも雲が立ち込める

祭司たちはその光に圧倒され、ただ立ち尽くすばかり

神の住まいは、人の知恵を超えた場所

歴史を貫く「真実」だけが、そこを支える柱となる。

視線はさらに、開かれた天の窓へ

「証しの幕屋」から立ち上る聖なる煙

裁きと救いが交差する、究極の聖所

そこはもう、古い幕屋でも、滅びる神殿でもない

神の正義と愛が、永遠に鳴り響く場所。

ああ、主よ

今、私たちの心という名の小さな幕屋を

あなたの御言葉で整えさせてください

不完全な私たちの歩みが、あなたの栄光に触れるとき

そこは、あなたが住まわれる「天の入り口」となる。

 

 

 

Posted on 03/15/2026 at 08:43, by matsumoto

ユダヤ人キリスト者と共に ヴァヤクヘル(2023.3.15)

《聖書箇所》出エジプト記35:1-38:20/①列王記7:40-50/

②コリント9:1-15,ヘブル9:1-14,黙示録11:1-13

 

《ギホンの泉》~分かち合いの呼び水~

 

奉げもの 心に満ちて 組み上がる

黄金(こがね)の聖所(みや)に 主は宿りませ

 

 

写し世の 幕を貫き ただ一度

主の血は注ぎ 我をきよめぬ

 

 

惜しみなく 蒔きし恵みの 種なれば

感謝の雨に 豊かなる実り

 

 

測られし 神の聖所を 守りつつ

荒ぶる世にも 証し立てゆく

 

 

石の宮 超えて我が身は 霊の家 

主と共に行く 日々の尊き

 

 

Posted on 03/08/2026 at 08:53, by matsumoto

ユダヤ人キリスト者と共に キ・ティサ(2026.3.8)

《聖書箇所》出エジプト記30:11-34:35/①列王記18:1-39/ルカ福音書11:14-20

 

《ギホンの泉》~分かち合いの呼び水~

 

聖なる火、真実の光

 

幕屋を渡る香油の薫りは

神の聖潔(きよさ)と、招きを告げる

私たちは何を脱ぎ捨てればよいのか

己を聖別し、静寂の中で御前に立つ

山の麓で黄金を溶かし、偶像を造る者らよ

それは不安を埋めるだけの、身勝手な鏡

主よ、私たちの内に潜む「金の子牛」を砕き

断絶の闇を、あなたの光で照らしてください

 

「いつまで、どっちつかずでいるのか」

カルメルの山に響くエリヤの叫び

天から降る火が、偽りと妥協を焼き尽くす

 

神の指が動くとき、悪霊は退き

御国の支配が、私たちの魂を解き放つ

山を降りるモーセの顔が光り輝いたように

真の出会いは、人を内側から造り替える

曖昧な歩みを捨て、今、決断の時

聖なる主を唯一の神として仰ぎ、

全き信頼をもって、真実の礼拝を捧げよう

 

 

 

 

 

Posted on 03/01/2026 at 16:10, by matsumoto

ユダヤ人キリスト者と共に テツァベ(2026.3.1)

《聖書箇所》出エジプト記27:20-30:10/エゼキエル書43:10-27/ピリピ書4:10-20

 

《ギホンの泉》~分かち合いの呼び水~

 

絶えざる光、満ちゆく心

 

一、 絶やすことのない灯火

朝の光が差し込むときも

夜の静寂(しじま)が包むときも

祭壇の火は 絶えることなく

主への献身を 語り続ける

それは 一時の情熱ではなく

静かに積み重なる 「継続」の祈り

選ばれた祭司が 灯し続けるように

私の魂も あなたを仰ぎ続けます

二、 聖なる秩序のなかに

神が住まわれる 心の神殿

その門をくぐる前に 私は立ち止まる

悔い改めという 清めの水で

乱れた歩みを 整えるために

聖なる方をお迎えする ふさわしい秩序

罪を退け 祭壇を清めるとき

あなたの栄光は 静かに満ち

私の内側に 確かな居所を定める

 

 

三、 秘められた充足の力

足りないものを 数える日々から

与えられている恵みを 味わう日々へ

どんな境遇にあっても 揺るがないのは

私を強くしてくださる方が 共におられるから

「私は何でもできる」

それは 私の力ではなく あなたの力

キリストという 満ち足りた泉が

感謝の連鎖を 呼び起こしてゆく

 

目に見える 日々の奉仕(つとめ)と 目に見えない 心の平安

その両面が合わさる ひとつの歩み

今日も 聖なる灯火を絶やさず

置かれた場所で 主を信頼しよう

私の歩みを通して あなたの栄光が

この地に 豊かに現されますように

 

 

 

 

Posted on 02/22/2026 at 17:27, by matsumoto

『幕屋、神殿、そしてキリスト』(ユダヤ人キリスト者と共に テルマ)2026.2.22

人間が設けたのではなくて、主が設けられた真実の幕屋である聖所で仕えておられる方です。(ヘブル書8章2節)《関連聖句》出エジプト記25:1–27:19(幕屋の建設命令)/①列王記5:12–6:13(ソロモン神殿の建設)/ヘブル書8:1–6、9:23–24(天にある真の幕屋)

◆はじめに…聖書全体を貫く驚くべき真理は、「聖なる神が、罪ある人間のただ中に住もうとされた」ということです。出エジプトの荒野で示された幕屋の細かな設計図(出エジプト25章)は、人間の宗教心の産物ではなく、主ご自身の熱意によるものでした。主は、遠くから眺める存在ではなく、民の旅路に同行する方であることを選ばれたのです。

◆型としての幕屋と神殿…移動式の「幕屋」は荒野のただ中に、ソロモンの「神殿」は定着したイスラエルの地に置かれました。これらは当時の人々にとって主の臨在の確かな「しるし」でした。しかし、神殿建設の際、主は「わたしの掟に歩むなら、わたしはあなたの中に住む」(列王記上6:12-13)と語られました。豪華な建物そのものが重要なのではなく、主との契約関係、すなわち「主の御言葉への従順」こそが、神の住まいの本質だったのです。

◆天の本体と真の実体…ヘブル書は、地上の幕屋や神殿は「天にあるものの写し(影)」に過ぎないと宣言します(ヘブル9:23)。これらは「モデルルーム」のようなものであり、その本体(実体)こそがイエス・キリストです。イエス様は、手で造られた聖所ではなく、天の本物の聖所へと入られました。幕屋の構造が示していた「神との隔たり」を、イエス様はご自身の命という一度限りの献げ物によって取り払われたのです。

◆私たちの内に立てられる聖所…私たちは立派な建物(教会堂)を必要としません。イエス様を信じる者の群れ、そして私たちの心こそが「聖霊の宮」です。幕屋が移動し、神殿が定着したように、人生のどんな局面(試練の時も平安の時も)においても、主は私たちのただ中に住まわれます。儀式や形式という「影」に留まらず、本体であるイエス様を見上げ、日々の歩みの中で主の御声に従うとき、私たちの日常が「神の住まい」となります。

◆結び…幕屋から神殿、そしてキリストへ。「神の住まい」は、イエス様において完成しました。私たちは今、どこにいても、イエス様を通して大胆に神の臨在の中を歩むことができるのです。今日、この瞬間、私たちの心の聖所にインマヌエルの主をお迎えできる恵みに感謝します。

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