Posted on 04/01/2018 at 23:24, by matsumoto

イースター礼拝での証し(2018.4.1)

イースター礼拝での証し(2018.4.1)

本主日のイースター礼拝は、意義深い礼拝となりました。

それは、本主日の聖餐式(いとすぎ教会では「聖さんの時」という呼称にしています)にまつわる一連の出来事でした。

いとすぎ教会の聖餐式では、イエス様のひとつの身体を皆で分かち合うという意味を込めて、一つのガラス製のティーカップに入れたぶどうジュース(百パーセント果汁)を、オリーブの木でできた小さなカップ(イスラエルで購入したもの)に注ぎ分け分けます。それを礼拝に出席している方(聖餐を希望する方)に配って、聖餐のことばを司式者が告げます。

そのティーカップからオリーブのカップに注ぐぶどうジュースが、私の眼には何故か今日は本物のイエス様の血そのものに見えたことがまず第一のことです。

その後、ぶどうジュースを注ぎ分けたカップを礼拝参加者に配り、最後に残ったカップが司式者(すなわち私)のカップになるのですが、それを手に取り、「これは私たちのために主が十字架にお掛かりになり、流された血潮です…」と、聖餐のことばを語り出したとき、そのカップの裂け目から血が流れ出すように、ポタポタとぶどうジュースが滴り落ちたのです。

まさにこの時、十字架に掛かられたイエス様の脇腹から血が滴り落ちる様を、目の当たりにしたようなリアリティを感じました。

礼拝が終わってから、「僕の手に取ったカップが割れていて、ぶどうジュースが漏れてたよ」と、妻に報告したところ、(次回の聖餐式でそのカップを手にした方の服にしみがついたりしてはいけないと思ってのことと思いますが、)すぐにごみ箱に捨てました。

あとで、聖餐式でのことを妻に詳しく話をすると、「もう一度、水を入れて漏れるか確認してみよう」ということになり、ごみ箱から再び取り上げ、水を入れてみると、裂け目から水が滴り落ちました。

これは、イエス様が十字架から取り降ろされた後、墓に葬られ、陰府に降り、3日目によみがえられ、生命の水、すなわち永遠の生命を与えられた事を追体験させてくださった出来事だったのだと確信させられました。

今日のイースター礼拝の一連の出来事を通して、復活の主イエス様ご自身が働かれ、確かに、今日、そして永遠に私たちとともに生きておられることを証ししてくださったのだと確信しています。

復活の主に栄光がありますように。

 

Posted on 03/25/2018 at 19:31, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『羊飼いへの告知』(イエス・キリストの生涯 その12)(2018.3.25)

 

さて、この土地に、羊飼いたちが、野宿で夜番をしながら羊の群れを見守っていた◆すると、主の使いが彼らのところに来て、主の栄光が回りを照らしたので、彼らはひどく恐れた◆御使いは彼らに言った。「恐れることはありません。今、私はこの民全体のためのすばらしい喜びを知らせに来たのです◆きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです◆あなたがたは、布にくるまって飼葉おけに寝ておられるみどりごを見つけます。これが、あなたがたのためのしるしです。」◆すると、たちまち、その御使いといっしょに、多くの天の軍勢が現われて、神を賛美して言った◆「いと高き所に、栄光が、神にあるように。地の上に、平和が、御心にかなう人々にあるように。」◆御使いたちが彼らを離れて天に帰ったとき、羊飼いたちは互いに話し合った。「さあ、ベツレヘムに行って、主が私たちに知らせてくださったこの出来事を見て来よう。」◆そして急いで行って、マリヤとヨセフと、飼葉おけに寝ておられるみどりごとを捜し当てた(…)◆羊飼いたちは、見聞きしたことが、全部御使いの話のとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った(ルカによる福音書2章8-20節)

  • はじめに…最近、ひょんなことから、身近なところに、ある数学者がいらっしゃることを知りました。それでその方のことを調べていくうちに、ペレルマンというユダヤ系ロシア人の数学者に行き着きました。ご存知の方もあると思いますが、「ポアンカレの予想」という、約百年間、誰も解くことのできなかった数学的難問を証明した人物です。その彼が生涯、数学者として生きる動機となったのが「キリストが水の上を歩くことが出来たのはなぜか」という問いに答える(証明する)ことだったのです。「水の上を歩くなんて、馬鹿げた話だ」として(クリスチャンも含め)一笑に付す人は多いのでは? みことばと真っ向から向き合うとき、新たな霊の世界が啓かれます。
  • 礼拝者になった羊飼い…今日のテキストは、天使が、野宿して夜勤(夜番)をしていた羊飼いたちに、イエス様の誕生を知らせる、という内容です。その知らせに天の軍勢が加わり、声を合わせて賛美し、その賛美に促されるように羊飼いたちはイエス様のお生まれになった現場へ駆けつけ、事実を目の当たりにし、自ら神をあがめ、賛美する者、すなわち礼拝者となったのです。
  • 結び…受難週のはじまりの棕櫚の主日、私たちの唇が「ホサナ、神に栄光、地に平和」と賛美しますように。
Posted on 03/18/2018 at 15:11, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『イエスの誕生』(イエス・キリストの生涯 その11)(2018.3.18)

 

そのころ、全世界の住民登録をせよという勅令が、皇帝アウグストから出た◆これは、クレニオがシリヤの総督であったときの最初の住民登録であった◆それで、人々はみな、登録のために、それぞれ自分の町(=本籍地)に向かって行った◆ヨセフもガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。(…)彼らがそこにいる間に、マリヤは月が満ちて、◆男子の初子を産んだ。それで、布にくるんで、飼葉おけに寝かせた。宿屋(=客間)には彼らのいる場所がなかったからである。(ルカによる福音書2章1-7節)

 

  • はじめに…先週は、不思議と人の動きがあった週でした。当教会の礼拝に、はじめて来られた方があり、久しぶりに手紙を下さった方があり(ただ住所の記載がなく、またPCメールの記録も消失し、返信できずにご無礼しております)、そして義兄の訪問がありました。義兄は定年後、広島大学に入学し、今週、晴れて満65歳で卒業を迎え、これから大学院での学びの準備をするとのこと。その顔は青年のように輝いていました。いくつになっても学びは始められ、そして継続できるんだと、義兄の姿から励ましと希望をもらいました。
  • そのころ(=神のとき)…さて、今日はイエス様の誕生の箇所です。「そのころ」とは、どんなときだったでしょう。皇帝アウグスト(称号=大いなる者)、すなわちオクタヴィアヌスの治世(BC27-AD14)です。“パックス・ロマーナ”(ラテン語で「ローマによる平和」の意)と呼ばれる世で、力による平和の治世でした。とき同じくしてイエス様が誕生されたのです。その誕生は、力や強さとはまったく逆で、無力さと弱さを象徴するように、布にくるまれ、飼葉おけのなかに幼子としてお生まれになられたのです。このことからもすでにイエス様のもたらされる平和は力(武力)によるものではなく、霊的な愛によるものだということを暗示していました。そして、お生まれになった場所は、ユダヤのベツレヘム。住民登録のときだったことから、ナザレから故郷のベツレヘムへ行く必要があったのです。これは旧約聖書のミカ書のメシヤ預言の成就でした。「ベツレヘム・エフラテよ。あなたはユダの氏族の中で最も小さいものだが、あなた のうちから、わたしのために、イスラエルの支配者になる者が出る。その出ることは、 昔から、永遠の昔からの定めである」(ミカ5章2節)(ルツ記4章11、17節参照)
  • 結び…創造主の広く長く高く深い、救いのご計画が日々、進められています。
Posted on 03/11/2018 at 21:59, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『ヨセフへの告知』(イエス・キリストの生涯 その10)(2018.3.11)

 

(…)マリヤはヨセフの妻と決まっていたが、ふたりがまだいっしょにならないうちに、聖霊によって身重になったことがわかった(…)◆彼(ヨセフ)がこのことを思い巡らしていたとき、主の使いが夢に現われて言った。「ダビデの子ヨセフ。恐れないであなたの妻マリヤを迎えなさい。その胎に宿っているものは聖霊によるのです◆(…)その名をイエスとつけなさい。この方こそ、ご自分の民をその罪から救ってくださる方です。」◆このすべての出来事は、主が預言者を通して言われた事が成就するためであった◆「見よ、処女(ヘブル語=アルマー、ギリシヤ語=パルセノス)がみごもっている。そして男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」(訳すと、神は私たちとともにおられる、という意味である。)◆ ヨセフは眠りからさめ、主の使いに命じられたとおりにして、その妻を迎え入れ、◆(…)名をイエスとつけた。(マタイによる福音書1章18-25節)

  • はじめに…東日本大震災・福島第一原発事故から丸7年。ここ、いとすぎ教会から福島第一原発までの距離は437キロ。時は経過し記憶はどんどん遠ざかっていき、実際の距離は1ミリも近づくことはなく、逆に心情的な隔たりは知らず知らずのうちに広がって行ってしまいます。震災復興に関する情報は溢れています。しかし具体的な関わり、あるいは出会いが(少なくとも今のわたし自身には)無いのです。もしかしたら気づいていないだけかも知れませんが…。
  • 天使の告知(処女懐胎)…好むと好まざるに関わらず、神様(創造主)の出来事は思いがけず向こうからやって来ます。それはあまりにも不合理であったり、理解不能であったりします。どんなに自分の頭で考え、合理的に解釈をし、納得ようとしてもできません。たとえ一つの結論を導きだしたとして間違った選択しかできないのです。ヨセフの場合もそうでした。「(マリヤを)内密に去らせよう(離縁しよう)」と決めていたのです。しかし天使が夢に現われ、「妻マリヤを迎えなさい」と命じられたです。それにヨセフは従い決断したのです。
  • 処女懐胎…“処女懐胎”の事実は、にわかには信じがたい事です。これはその当時から今日に至るまで、議論の的になっています。「イザヤ7章14節のヘブル語(アルマー)をギリシヤ語(パルセノス)に翻訳した際に生じた誤訳だ」という論があります。しかしこれはキリスト信仰の根幹です。
  • インマヌエルなるイエス様…そのようにしてお生まれになったのが、インマヌエルと呼ばれるイエス様です。
  • 結び…わたしたちから近づくことはできなくても、主ご自身から近づき、共にいて下さることに感謝と賛美を捧げる日々を歩めるよう祈ます。
Posted on 03/04/2018 at 20:12, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『ベネディクトゥス』(イエス・キリストの生涯 その9)(2018.3.4)

 

さて月が満ちて、エリサベツは男の子を産んだ◆(…)すると、彼は書き板を持って来させて、「彼の名はヨハネ。」(「יוֹחָנָן שְׁמוֹ」)と書いたので、人々はみな驚いた◆すると、たちどころに、彼の口が開け、舌は解け、ものが言えるようになって神をほめたたえた◆(…)「ほめたたえよ。イスラエルの神である主を。主はその民を顧みて、贖いをなし、救いの角を、われらのために、しもべダビデの家に立てられた◆(…)さて、幼子は成長し、(…)荒野にいた。(ルカによる福音書1章57-80節)

  • はじめに…一昨日はきれいな満月でした。次の満月が来たら“過越の祭”です。そしてイースター(復活日)になります。今年のイースターは4月1日です。
  • 過越…イースターは、イエス様が十字架に掛かって死に、三日目によみがえったことを記念する日です。このイエス様の十字架の死の出来事の意味が、実は、「過越」の出来事のなかに隠されていた、そのようにクリスチャンは信じています。「過越」の出来事は出エジプト記12章に記されています。10の災いがエジプトの全地に及び、10件目の災いはすべての初子のいのちが断たれるというものでした。その災いは、エジプトから脱出しようとしているイスラエルの民にも降りかかるものでしたが、門柱とかもいに、ほふった羊の血を塗れば、その前を過ぎ越して滅びからは免れるというものでした。イスラエルの民の初子のいのちを、滅びの災いから免れさせた“あがないの小羊”の血が、実は私たち死ぬべき罪人を救うために、主イエス様ご自身が“あがないの小羊”として十字架に掛かり、血を流された出来事の型なのだ、そう信じているのです。
  • 荒野のヨハネ…そのことを、世界に告げ知らせるために、バプテスマのヨハネはこの世に生を受け、荒野で生活をし、その使命を全うしたのてす。ヨハネは自分に近づいて来るイエス様を見て叫びました。「見よ、世の罪を取り除く神の小羊」(ヨハネ1章29節)
  • ベネディクトゥス…そのヨハネが誕生したときに、その父ザカリヤは、香をたく奉仕以来9カ月、ものが言えなくなっていたその口が開け、舌が解け、最初に彼の口から出てきたことばは、主をほめたたえる賛歌だったのです。そのラテン語訳がベネディクトゥスで始まっているため“ベネディクトゥス”として今日、知られています。ヘブル語ではバルーク/エロハ/エロヒ/イスラーエル(…)
  • 結び…私たち一人ひとり、祭司ザカリヤにならい、朝、目覚めてから最初に、主をほめたたえることばを口にする者となりますように。
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