Archive for 10月, 2024

Posted on 10/29/2024 at 05:52, by matsumoto

『箱舟(みことば)から踏み出す』(ユダヤ人キリスト者と共に その5)(2024.10.27)

箱舟に天窓を作り、上部から一キュビト以内にそれを仕上げなさい。また、箱舟の戸口をその側面に設け、一階と二階と三階にそれを作りなさい。(創世記6章16節)

◆はじめに…ここ最近、お祈りの要請を頂くことが多くなりました。主のご計画があることと信じ、毎日、それぞれの方々の課題を覚え、祈り続けさせて頂いています。きっと主が一人ひとりの歩むべき道を啓いて下さると信じます。今日は『箱舟(みことば)から踏み出す』と題して①箱舟が救いの場所であり、②それはみことば(イエス・キリスト)であり、③祈りが困難を乗り越えて前進する勇気になることを、共に聞いていきたいと願います。

◆箱舟に入る…ノアの名前の意味は“慰め”です。イエス様もおっしゃいました。「悲しむ者は幸いです。その人たちは慰められるから。」(マタイ5章4節)と。主ご自身が私たちの辛さを慰めて下さいます。一方、主は、悪が増大したことで、人と天地を造ったことを「悔やみ」「残念に思う」(創世記6章6、7節)と心を痛められたことが記されています。この「悔やみ」「残念に思う」という言葉は原語では「慰め」と同じ言葉なのです。“悔いと慰め”が箱舟建造の動機です。この箱舟を荒れ狂う水(=私たちの心の中の不安)が持ち上げ、史上最大の洪水の際の避難所(シェルター)となりノア家族一行の生命を守りました。

◆箱舟&天窓=世の光なるイエス様…この避難所なる箱舟には天窓が据え付けられていました。「箱舟」(テイヴァ)は“ことば”と訳すことができます。また「天窓」(ツォハル)は“輝き”を意味することから、あるラビは“自ら輝く奇跡的な宝石”と解釈しています。とすると、私たちはピンと来るのではないでしょうか? そうです。「御子は神の栄光の輝き、また神の本質の完全な現われであり、その力あるみことばによって万物を保っておられます」(ヘブル1章3節)。みことばによって私たちを保ち、世の光として私たちを導かれるイエス様が、私たちにとっての箱舟だということを。

◆箱舟から出る…洪水が始まってからほぼ一年経って、地は乾き切り、そこで主がノアに「箱舟から出なさい」(創世記8章15-16節)と語られました。ただこの時、主は穏やかに告げたのではなく、厳しく、批判的に語られています。聖書には「ノアは神とともに歩んだ」(創世記6章9節)と記されてあり、後に登場して来るアブラハムには「わたしの前を歩め」(同17章1節)と主が語られました。ここから私たちが聞くメッセージは、信仰とはただ従うのではなく、失敗を恐れず、不確実で困難な世に自らの選びと責任で踏み出す勇気です。

◆結び…イエス様のみことばに耳を傾け、信仰を持って生きることで、どんな困難な状況でも乗り越え、豊かな人生を送ることができることを感謝します。

Posted on 10/20/2024 at 17:43, by matsumoto

『創造主のみこころ』(ユダヤ人キリスト者と共に その4)(2024.10.20)

神である主は、アダムとその妻のために皮の衣を作り、彼らに着せてくださった。(創世記3章21節) /義をもってあなたを召し、あなたの手を握り、あなたを見守り、あなたを民の契約とし、国々の光とする(イザヤ42章6節)

◆はじめに…今日は、『創造主のみこころ』と題して、①神様の創造と愛、②皮衣と光り衣、③キリストを着る、ということで、神様が私たち人間を深く愛し、救いの道を示して下さっているということでメッセージを聴きたいと願っています。さて昨日、私の勤めている社会福祉法人の障害者施設で“恵愛まつり”というイベントがありました。ちょうどユダヤ教の三大祭りのひとつ“仮庵の祭り”の時期になります。その仮庵の祭りの最終日が“シムハット・トーラーで、シナゴーグでは年間トーラー朗読の最初箇所、創世記1章からの天地創造の箇所が読まれ、トーラーの巻物を抱えて、会堂の周りを踊りながら進みます。

◆神・神である主・主…(エロヒーム)は、六日で天地万物(自然環境)をお造りになられたお方です(創世記1章)。神である主(ヤハウェ・エロヒーム)は「土地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれた」(創世記2章7節)と粘土で像を形作る彫刻家のように創造され、『人がひとりでいるのは良くない。わたしは彼のために、ふさわしい助け手を造ろう』(創世記2章18節)と、最初の人間が自分自身で孤独に気づく前に、最初の人間の孤独を知っておられるお方です。

◆皮衣=光の衣…主なる神は、最初の人間、アダムとエバを、その罪ゆえにエデンの園から追放した厳しい神のイメージが強いと思います。しかし、私たちが罪を犯す弱い存在だからこそ、「皮衣」を着せて下さり、自らの弱さ、限界を認め、主に依り頼んで歩む霊的成長の過程を傍らにいて伴走して下さる親愛の情に溢れるお方です。そのお方を私たちは“主”と呼びます。この主が、アダムとエバに与えて下さった「皮衣」を“光の衣”と1世紀の賢者ラビ・メイアは解釈しています(「皮」と「光」はどちらも“オール”と発音する)。主がイエス様だと信じる私たちは、「皮衣」からは“贖い主なるイエス様”を想い起こしますし、「光の衣」からは“世の光なるイエス様”(ヨハネ8章12節)を想い起こします

◆キリストを着る…私たちに主が与えて下さったのは私たちの罪の贖いのために十字架に掛かられたイエス様ご自身です。そのことをパウロはローマ書で「主イエス・キリストを着なさい」(ローマ書13章14節)と言っています。また12節では「光の武具」と言っています。私たちに与えられた“皮衣”“光の衣”は主イエス・キリストです。新しい服を着ると私たちは、心躍り、内側から輝きます。

◆結び…私たちに新しい服、皮衣、光の衣を与えて下さった主に感謝します。主イエス様が語られた「罪に定めない」「裁かない」「すべての者を救うために来た」と言う福音を、身をもって世に顕す日々となるよう祈ります。

Posted on 10/16/2024 at 06:03, by matsumoto

『霊的遺産相続』(ユダヤ人キリスト者と共に その3)(2024.10.13)

モーセは、みおしえを私たちに命じ、ヤコブの会衆の所有とした。(申命記33章4節) /この律法の書を、あなたの口から離さず、昼も夜もそれを口ずさまなければならない。(ヨシュア記1章8節)

◆はじめに…先週10月11日、ノーベル平和賞の発表があり、核廃絶を訴え続けて来た「日本被団協」が受賞しました。日本被団協の代表委員・箕牧智之(みまきとしゆき)さん(82)は記者会見で「『核兵器があるから世界は安全なんだ』 という言い方をされる。それでも核兵器があれば、テロが狙うかもわからない。周り全部、大きな核被害を受けることになる。そのことを政治家は知るべき」「世界の皆様へ。私たちが生きている間に核兵器をなくしてください。被爆者11万4000人の願いです」イエス様はおっしゃいました。「平和を作り出す者は幸い」

◆霊的遺産相続…本主日は、シナゴーグでの年間トーラー朗読の最終週で申命記33章から34章が読まれます。そこから『霊的遺産相続』というテーマで、みことばに聞いていきます。モーセは自らの死を前にして、「みおしえを私たちに命じ、ヤコブの会衆の所有とした」(申命記33章4節)とあります。つまりモーセは、主から受け継いだ律法(みおしえ)を、次の代のイスラエルの民に霊的遺産相続したということです。先日、知人から車を譲って頂いたとお話しました。その譲って頂いた車のダッシュボードの隅に「運転者が唱える祈り」というメモがありました。車とともに祈りをも譲り受けたのでした。

◆律法の本質…律法は613の戒律からなっています。このすべてを行なえる人はいないでしょう。大切なことは、律法の言わんとしている心、本質です。ダビデは律法の本質を十一にまとめ(詩篇15篇)、イザヤは六つに(イザヤ33章15節)、それをミカは三つに(ミカ6章8節)、さらにハバククは全部ひっくるめて一つにしまた(ハバクク2章4節)。そのハバククをパウロはローマ書で引用し、ローマ書全体の要約としています。

◆律法の完成者…信仰の内容はイエス様です。イエス様のみことばです。イエス様は律法の本質を二つにまとめました。「一番たいせつなのはこれです。『イスラエルよ。聞け。われらの神である主は、唯一である。心を尽くし、思いを尽くし、知性を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』次はこれです。『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。』この二つより大事な命令は、ほかにありません」(マルコ12章29節-31節)。イエス様は、いのちに至る道であり、愛と平和の源です。主に愛されてモーセは死にました。イエス様は復活し、今も私たちとともに働いておられ、みことばを確かなものとして下さっています。

◆結び…私たちに信仰を与えて下さり、親密な関係を築いて下さる主に感謝します。主のみことばを日々、生きる者として下さい。

Posted on 10/06/2024 at 19:51, by matsumoto

『モーセの歌(耳を傾けよ)』(ユダヤ人キリスト者と共に その2)(2024.10.6)

私のおしえは、雨のように下り、私のことばは、露のようにしたたる。若草の上の小雨のように。青草の上の夕立のように。(申命記32章2節) /あなたがたは迫害する者を祝福しなさい。祝福すべきであってのろってはいけません。(ローマ12章14節)

◆はじめに…先週、アメリカに住んでいる、主にある姉妹から祈りのリクエストが届きました。娘夫婦が暮らしているノースカロライナ州西部に、ハリケーン「へリーン」が襲って、洪水によって甚大な被害に見舞われ、娘さんが経営するマッサージ師養成スクールも、被害地域の中心地的な、アッシュヴィルという街にあって、壊滅的なダメージを受けているとのことでした。どうぞお祈りに覚えてください。

◆ハアズィヌ(耳を傾けよ)…本主日は申命記32章で、モーセが生涯を閉じる前にイスラエルの民を前にして主の御業を詠唱(えいしょう)したところです。“モーセの歌”と言われています。人生の終わりがけに私たち自身が人生の歩みの中で最も愛し、大切にして来た愛唱讃美歌、愛唱聖歌を、兄弟姉妹を前にして歌うといったところでしょうか。みことばをメロディー(節)に載せることで、頭でみことばを理解するのではなく、こころ(感情)をみことばが揺さぶり、新しい力が与えられる契機になります。みことばが雨、露、小雨、夕立のように青草の上に降り、地に染みこんで、成長するようです。私たちも礼拝で、そして日々の生活で、みことばを歌い、聞き、思い起こして力を得ます。今日、私たちがモーセの歌から聞くメッセージは何でしょうか?

◆復讐しないこと…一つは、「復讐と報いはわたしのもの」(申命記32章35節)、「自分で復讐してはいけません」(ローマ12章19節)とあるように、“復讐しない”ということです。憎しみは復讐にも復讐は暴力に、暴力は更なる暴力の連鎖になります。イエス様も『目には目で、歯には歯で。』ではなく、別の道を示されたことを私たちは知っています(マタイ5章38-48節)。

◆与えること…もう一つは、“与える”ことです。創造の主は、雨を降らせ、世話をし、羽に載せ、岩からの蜜と油で養われたとモーセは歌っています。主はその本質として与える方です。なぜなら主は満ち満ちておられ、不足はない方だからです。イエス様も「求める者には与えなさい」「与えなさい。そうすれば、自分も与えられます。」(ルカ6章30、38節)とおっしゃいました。「ギブアンドテイク」ではなく、「ギブアンドギブ」です。神の似姿です。

◆結び…主は、みことばによって私たちの背中を押し、手を引き、生きる力を与えてくださいます。主に賛美と祈りをもって感謝をささげます。

 

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