Posted on 02/18/2018 at 19:13, by matsumoto
(…)御使いガブリエルが、神から遣わされてガリラヤのナザレという町のひとりの処女のところに来た(…)◆(…)「おめでとう、恵まれた方。主があなたとともにおられます。」(…)「こわがることはない。マリヤ。あなたは神から恵みを受けたのです◆ご覧なさい。あなたはみごもって、男の子を産みます。名をイエスとつけなさい(…)「聖霊があなたの上に臨み、いと高き方の力があなたをおおいます。それゆえ、生まれる者は、聖なる者、神の子と呼ばれます(…)神にとって不可能なことは一つもありません。」◆マリヤは言った。「ほんとうに、私は主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおりこの身になりますように。」こうして御使いは彼女から去って行った。(ルカによる福音書1章26-38節)
- はじめに…昨日は、藤井聡太(15)と羽生結弦(23)が、それぞれの舞台で歴史的な快挙を成し遂げました。「望外の結果で、本当に自分でもここまで来られると思っていなかった。とてもうれしく思っています」(藤井)「ここまで来るのにたくさんの人々に支えていだきながら、生きてきました」(羽生)
- 事実は小説より奇なり…マリヤは、男女の営みによってではなく、聖霊によって懐妊したことを、ルカは記しています。このことは個人的な経験からも、また科学的見地からも、受け入れ難いことです。実際、当事者だったマリヤ自身、「どうしてそのようなことになりえましょう。私はまだ男の人を知りませんのに」と、とまどっています。しかし「どうぞ、あなたのおことばどおりこの身になりますように」と、天使ガブリエルの使信に身を委ねたのです。その後、時が満ち、みことば通り、イエス様が誕生されました。まさに歴史的快挙です。
- 信仰…こんにちでも、マリヤの“処女懐胎”は論争になります。しかし、「主は聖霊によりてやどり、処女(おとめ)マリヤより生(うま)れ(…)」と使徒信条を告白しながら信仰者は2千年来、その信仰を守り抜いてきました。「信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです」(ヘブル書11章1節/新共同訳)「あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。」(エペソ書2章8節/新改訳)全能の神様の超自然的な出来事は、神様の恵み(助け)があって、はじめて理解(信じること、悟ること)ができるのです。アダムとエバの背信によって受け継がれてきた原罪を完全に無きものにするために、母マリヤを通して最後のアダムとしてのイエス様が、誕生したのです。
- 結び…ことばが人となって、最後のアダム、イエス・キリストがこの世に来られ、罪の歴史から救いの新しい歴史の幕が開いたのです。
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