Posted on 08/06/2018 at 09:19, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『ニコデモの訪問』(イエス・キリストの生涯 その29)(2018.8.5)

神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。(ヨハネによる福音書3章1-16節)

  • はじめに…今日から第100回全国高校野球選手権記念大会が始まります。大きな節目の大会。球児たちの健闘を祈ります。父なる神は、私たちに愛というボールを投げられます。それを私たちが受けて(信じて)打つ(感謝する)なら、それはまさにホームラン。私たちは永遠のいのちという勝利を得るのです。父なる神が投げられたボール。それはイエス様の十字架という愛です。
  • ニコデモの訪問…ユダヤ人の指導者であるニコデモは、自分の立場を考えたのでしょう。人目を忍んで<夜>、イエス様を訪ねます。そのニコデモにイエス様は、直球を投げられました。「新しく生まれなければ、神の国を見ることはできない」。これはニコデモにとって理解しがたいことです。「“ユダヤ人であれば必ず神の国に入れる”と学び、そして教えている。ユダヤ教の律法に示されている新生はすべて終えている。さらに『新しく生まれなければ…』とは一体、何を言おうとしているのか」。そこでニコデモは「もう一度、母の胎内に入って生まれることができるでしょうか」。ニコデモ、第一打席空振り三振です。
  • ただ十字架によって…さらにイエス様は直球を投げられます。「水と霊によって生まれなければ神の国に入れない」(エゼキエル36章25-27節)「知っていることを話し、見たことを証ししているのに受け入れない」「御子を信じる者がひとりとして滅びることなく永遠のいのちを持つ」。かつて荒野で木に架けられた青銅でつくられた蛇を見上げた者はいやされた(民数記21章8-9節)ように、木(十字架)に架けられたイエス様の愛を受けとった者は生きるのです。「どうして?」とニコデモ。ユダヤ人も異邦人もなく、ただイエス様の十字架の愛を受け、感謝するだけで良いのです。事実、イエス様と一緒に十字架に架けられた人は、そのさなかにイエス様の愛を受け取り、神の国に招かれました。
  • 結び…またしてもニコデモは見送りの三振です。しかしイエス様が十字架に架けられた時、はっきりとイエス様の愛に気づき、受け取りました。それ以後、ユダヤ人のコミュニティからは外されましたが彼は心底、愛して下さる神の愛によって永遠のいのちに生きました。場外ホームラン。父なる神はイエス様を十字架に架けてまで、私たちを愛して下さっていることを表わして下さいました。そして、その愛を受け取る人は、ユダヤ人、異邦人の区別なく、ひとりとして滅びることなく永遠のいのちを持つのです。愛の神は名ピッチャーです。

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