Posted on 11/11/2018 at 16:25, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『愛は律法を超える(Love is above the law)』(イエス・キリストの生涯 その43)(2018.11.11)

 

このためユダヤ人たちは、イエスを迫害した。イエスが安息日にこのようなことをしておられたからである。イエスは彼らに答えられた。「わたしの父は今に至るまで働いておられます。ですからわたしも働いているのです。」(ヨハネによる福音書5章16-17節)

  • はじめに…2016年1月にイスラエル巡礼旅行に行った際、ビア・ドロローサ(苦しみの道)を歩きました。そのスタート地点に「羊の門」、そして「ベテスダ」がありました。そこで現地ガイドの榊原さん(通称バラさん)が、今日のテキストのヨハネ5章を朗読し、概要を解説してくれたことを昨日のように思い出します。
  • ベテスダ(あわれみの家)…“ベテスダ”はヘブル語で、ベイト(家)とヘセド(あわれみ)が合わさって「あわれみの家」という意味である可能性が大です。そこに医者から見離された人たちが大勢、集まっていたのです。5章4節が欠落していますが、そこには「主の使いが降りて来て、水を動かし、その直後に最初に池に入った者は、どんな病気でもいやされた」という言い伝えが引用されていました。この言い伝えを信じて、当時の医学では手立てのなかった人々が集まって来たのです。そこに38年(申命記2章14節参照)の長きにわたって病んでいた人がいたのです。イエス様は、その人を見つめ、憐れみの心でその生い立ちをすべて自分のこととして包み込み(霊的・人格的に交わり)、ことばを掛けられました。
  • 愛のことば…「あなたは健康に生まれたかったでしょう」(ヨハネ5章6節b/筆者私訳)。医者に見離され、思うように身体は動かず、ベテスダの池に入ることもできない。心も萎え、力なく絶望状態のところに、イエス様のまなざしとことばが響いて来たのです。このイエス様の憐れみと愛に満ちたことばによって、砂漠のような心の奥底から、いのちの泉が滲み出てきたことでしょう。その僅かな希望をイエス様は後押しします。「起きて、床を取り上げて歩きなさい」(同7節)。それは安息日には禁じられていた行為でした。しかし、愛と憐れみの主のことば(福音)は、安息日の縛りを突破します。
  • 結び…主の愛は、律法を超えて働きます。私たちが弱い時にこそ、主の力は強く働きます。主は、天地万物を創り、今も万物を支えておられる創造主であり、安息日の主です。

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