Posted on 01/13/2019 at 19:34, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『安息といのちのまなざし』(イエス・キリストの生涯 その48)(2019.1.13)

イエスはそれを知って、そこを立ち去られた。すると多くの人がついて来たので、彼らをみないやし、そして、ご自分のことを人々に知らせないようにと、彼らを戒められた。これは、預言者イザヤを通して言われた事が成就するためであった。(マタイによる福音書12章15-17節)

  • はじめに…デイサービスの利用者さんを送迎車で送迎する時間は、とても有意義な時間です。人生の先輩たちが体験し学んだ人生の知恵に溢れている話を聞けるからです。元看護師だった方の話。「主人の様態が急変し、救急車を呼んで病院に救急搬送したときのこと。病院から自宅へ帰るためタクシーを呼んだとき、そのタクシーの運転手がさっと足元に新聞紙を敷いてくれた。というのは、急いでいたので靴も履かず裸足だった。ありがたかった。小さいことだけれど、こういうことの積み重ねが大事だと思った。」その話を聞いて、マザーテレサも言ったように“どれだけ多くのことをしたかではなく、どれだけ心を込めたか”それが大切だということを改めて考えさせられました。
  • みないやした…安息日論争の後、イエス様はガリラヤ湖畔に退かれました。しかし、イエス様の教え、いやしの噂を聞いた人々、なかでも病気に悩む人々が、大挙としてイエス様のところへ押し寄せてきました。イエス様は、それらの人々を“みないやし”(マタイ12章15節)とあるように、見て見ぬふりをしたり、適当にあしらうようなことはされませんでした。疲れも覚えておられたことでしょう。しかし心を砕かれ、最善を尽くされました。
  • まなざしの方向…先週の日曜日、NHKの番組で「サグラダ・ファミリア」の特集番組がありました。サグラダ・ファミリアは建築家ガウディの設計で、建築からすでに130年を経て、今もなお建築中です。2018年の秋からその会堂の中心部分に“イエスの塔”の建築が始まったそうです。その芸術工房監督を日本人の外尾悦郎氏が担当しています。その外尾氏が次のように語っています。「何も無くなってしまった時、絶望というものがあった。絶望の中にいて、やめるしかないと思ってた。でも、だとしたら、ガウディはどこを見てるんだろう? と、ふと思ったわけ。ガウディが見ている方向を見てみようかなって。それを考え始めたら、思いもよらずスーッとガウディが自分の中に入った」
  • 結び…イエス様の見つめるまなざしの方向に思いを合わせて歩む一歩一歩でありますように。そこに安息といのちに満たされた世界のはじまりがあります。

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