Posted on 03/10/2019 at 18:28, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『洗足』(イエス・キリストの生涯 その56)(2019.3.10)

過越のまつりの前に、イエスこの世を去りて父に往くべき己が時の來たれるを知り、世に在る己の者を愛して、極まで之を愛し給へり。(文語訳) (ヨハネによる福音書13章1節)

  • はじめに…昨晩、NHKスペシャル「崖っぷちでもがんばっぺ~おかみと社長の奮闘記~」の番組で 岩手県釜石の浜辺にある旅館「宝来館」の女将の岩崎昭子さんのことが紹介されていました。岩崎さんは津波をかぶり九死に一生を得、震災の1年後に国からの補助金で旅館を再建、今も以前と同じ場所で営業を続けています。
  • 極まで愛し給う方…今日のテキストの箇所はイエス様が十字架に付かれる直前の「告別説教」です。マタイによる福音書5-7章ではイエス様が宣教の始まりに語られた「山上の説教」が記されていますが、イエス様の公生涯の最初と最後に語られた二大説教と言えるでしょう。それをいとすぎ教会のある場所から見える山にたとえるなら「御岳山」と「伊吹山」になるでしょうか。イエス様の生涯は愛より発し、愛に至る生涯といえます。その愛のひとつの見本を十字架の死の直前に、弟子(使徒)たちに示されたのが“洗足”という振る舞いでした。そのことを使徒ヨハネは「極まで之を愛し給へり」(文語訳)と表現しています。私訳をすれば「果てしなく愛し続けられた」となるでしょうか。
  • 洗足は御国での執り成しの型…イエス様は十字架と昇天(死と復活)を知った上で、弟子たちの足を洗う振る舞いをしています。つまり永遠の別れを惜しむ思いから足を洗ったのではなく、その後の天における執り成しの約束のしるしとして、この地において足を洗ったのです(ルカ福音書24章49-51節、マタイ28章20節参照)。
  • 津波てんでんこ…弟子たちは十字架から“てんでんこ”しました。しかしイエス様は、十字架から逃げた弟子たちに「都にとどまっていなさい」(ルカ24章49節)と語られました。「なぜ同じ場所で再開するのですか」と、岩崎さんはよく聞かれるそうです。「ここで受けた震災の傷は、ここの水、ここの土、ここの空気で治すしかないの。」私たちの傷ついた場所にイエス様はおられ、執り成し、いやして下さいます。傷のあるところにイエス様の愛があります。
  • 結び…世の終わりまでともにいて下さる主に栄光

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