Posted on 04/21/2019 at 20:40, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『罪の代価を完済して下さった』(イエス・キリストの生涯 その61)(2019.4.14)

イエスは、酸いぶどう酒を受けられると、「完了した。」と言われた。そして、頭を垂れて、霊をお渡しになった。(ヨハネ福音書19章30節)

  • はじめに…桜の季節がめぐって来ました。しかしその「時」を人間が支配することはできません。すべてを支配しておられる神だけが「時」を進められます。イエス様の十字架の「時」もまた神の支配される「時」でした。そしてその「時」によって闇の中にいた私たち人間は罪の負債が完済され、いのちをもって完済して下さったイエス様のものとなったのです。
  • わたしは渇く…マザーテレサはインドで、路上で倒れている人と出会いました。その人はマザーに「わたしは渇く」といって水を求めたそうです。その姿とことばがイエス様と重なり、これをきっかけに、世界的に有名になったマザーの働きが始まりました。インドの最も貧しい人々に仕えること、それはイエス様に仕えることの信仰の証しとして活動しました。そして多くの人の命を救いました。その命に光を灯しました。ルカ福音書16章22-24節には物乞いをしていたラザロと贅沢三昧に暮らした金持ちの死後の様子が書かれています。ラザロはアブラハムのふところ(パラダイス)に、金持ちは渇きに苦しんでいます。イエス様が十字架上で「渇く」と言われたのは「すべての人の死を身代わりに請け負った」ということです。ご自分のいのちと引き換えに。
  • 完了した…この言葉はギリシア語で「テテレスタイ」、負債は完済した、という意味です。過越の祭に各地から集まったユダヤ人、ギリシア人等々、十字架のイエス様の罪状(タイトル)もヘブル語、アラム語、ギリシア語で書かれていました。群衆のざわめきの中、イエス様のこの叫び「完了(完済)した」という意味をどれだけの人が悟ったのでしょうか。過越の祭では神殿に罪の悔い改めをするためにささげものをしていました。罪を犯す度に律法を守るために犠牲を払っていたのです。ところがイエス様の十字架以後、払わなくてもよくなったのです。赦され、解放された私たちとして下さったのです(コロサイ2章13-14節)。
  • 闇と光…詠み人知らずの詩をご紹介します。「いのちのパンであるお方が飢えながら働きを始められた/いのちの水であるお方が渇きのうちに働きを終えられた/弱っていたお方が私たちの真の休息~彼は銀貨30枚で売られたが、世を贖って下さった~/彼は死にいのちを与え、その死によってすべて信じる者のために死を滅ぼされた」
  • 結び…イエス様の生涯は、人々を闇から救い出し、光のもとに導いて下さる約束を実行して下さった生涯です。今も私たちに御手を差し伸べておられます。「わたしの手をつかみなさい。そして潤してあげよう」

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