Posted on 04/21/2019 at 20:43, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『復活―救いの真実』(イエス・キリストの生涯 その62)(2019.4.21)

それからトマスに言われた。「あなたの指をここにつけて、わたしの手を見なさい。手を伸ばして、わたしのわきに差し入れなさい。信じない者にならないで、信じる者になりなさい。」(ヨハネ福音書20章27節)

  • はじめに…先週、日帰りで埼玉県の大宮市に行きました。というのは「もう車に乗らないから、誰か要らないかしら」と言う方があり、その方(Mさん)の車を譲り受けるためでした。年式、走行距離、色は違うけれどもまったく今、私たちが乗っているのとまったく同じ形の車でした。不思議なことです。
  • 信仰の証し…Mさんのご自宅へ伺い、車の譲渡に必要な書類の確認後、昼食をしながら、Mさんとその方のお父さんの信仰の証しを聞き、深く感銘を受け、恵みに満たされて帰途に就きました。Mさんのお父さんの遺した『主のために』と題された日記は605冊。天に召されるほぼ一週間前まで記されていました。Mさんはその日記を前にしながらお父さんの一つのエピソードを教えてくれました。戦争で米軍の捕虜になり、尋問を受けた際、聖書を持っていたことから「おまえはクリスチャンか?」と米兵から尋ねられ「そうだ」と答え、死刑を免れたと言うことでした。そんな体験があった故でしょう。天に召される直前に発したことばは「ギデオンの聖書100冊、注文してくれ」だったそうです。一冊の聖書の持つ救いの力を、身を以って体験し、確信し、信頼して生涯証しし続けたその父の生き様を通して、Mさんは「今、ようやく神様のことが分かるようになったばかりの幼稚園生です」と心境を話してくれました。
  • 信仰告白…さて、今日のテキストは、私がキリスト者になるきっかけになった聖句です。このときは、人生のどん底でした。ちょうどバブル経済が崩壊し始めのときでした。曲がりなりにも小さな工場を経営していたのですが、借金がかさみ、自転車操業でした。そんな中、聖書のことばの一節一節だけが日々の生活の支えでした。とはいうものの、最後の一線をどうしても越えることが出来ずにいたのです。言わずもがな、キリストの“復活”です。自分の納得がいく範囲内の科学的、合理的思考の枠を越えられずにいたのです。しかし、自分ではどうにもならなくなった状況の中、意識の転換(回心)が起こったのです。こちら側からアプローチしてみことば(復活)を理解し解釈するということから、向こう側から人格を伴ったみことば(復活の主)がやって来たのです。そして文字ではなく声として「あなたの指をここにつけて、わたしの手を見なさい。手を伸ばして、わたしのわきに差し入れなさい」と語りかけられたのです。
  • 結び…使徒、パウロをはじめ、復活の主に触れた人々が臆せず大胆に復活のイエス様を証し続けたが故に、今、私たちが、どんなに逆境の中にあったとしても、主にあって生き続けることができることは掛け替えのない救いの真実です。

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