Posted on 08/25/2019 at 09:03, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『散らされた地で“隣人愛”に生きる』(イエス・キリストの生涯 その75)(2019.8.25)

サウロは、ステパノを殺すことに賛成していた。その日、エルサレムの教会に対する激しい迫害が起こり、使徒たち以外の者はみな、ユダヤとサマリヤの諸地方に散らされた。/敬虔な人たちはステパノを葬り、彼のために非常に悲しんだ。/サウロは教会を荒らし、家々にはいって、男も女も引きずり出し、次々に牢に入れた。/他方、散らされた人たちは、みことばを宣べながら、巡り歩いた。/ピリポはサマリヤの町に下って行き、人々にキリストを宣べ伝えた。/群衆はピリポの話を聞き、その行なっていたしるしを見て、みなそろって、彼の語ることに耳を傾けた。/汚れた霊につかれた多くの人たちからは、その霊が大声で叫んで出て行くし、大ぜいの中風の者や足のきかない者は直ったからである。/それでその町に大きな喜びが起こった。(使徒の働き8章1-8節)

  • はじめに…最近、韓国との関係がぎくしゃくしています。政治問題と歴史問題が絡み合い、経済、安全保障、そして民間の文化交流にまで暗い影を落としています。嫌韓、反日ムードをマスコミが煽り、拍車がかかっているようにみえます。日本と韓国だけの問題ではなく、世界中で国と国、民族と民族の間に亀裂が生じています。あるいは香港のように政府と民衆の対立があります。このような中で、私たちはどのように今を生きていけば良いのでしょうか?
  • 迫害のただ中で…教会内に生じた問題解決のために立てられた七人の信仰者の第一人者だったステパノの殺害に端を発し、教会に対する迫害が激しくなりました。その迫害を逃れるため、使徒たち以外の者は各地方へ散らされました。散らされた人たちは、ただ怯えるのではなく、みことばを伝えて各地を巡り歩いたのでした。風に吹かれて飛んでいったタンポポの種のように。
  • サマリヤに逃れたピリピ…そのうちの一人、ピリピはサマリヤへ下って行きました。当時、ユダヤ人はサマリヤ人を嫌い、避けていました。逆も真でサマリヤ人はユダヤ人に対して反感を抱いていました。ピリピは、そのサマリヤへ行き、イエス様のことを話して歩いたのです。話すだけではなく、賜物を用いて、一人ひとりと深く接しました(使徒8章5-7節)。福音書にはイエス様が、ユダヤ人が避けて遠回りしていたサマリヤの地に入り、しかもそこで出会った女性に話しかけたことが記されています(ヨハネ4章4-29節)。また律法学者に“隣人”とは誰かを問うために、たとえ話でサマリヤ人を取り上げています(ルカ10章25-37節)。その出来事や逸話が、サマリヤの人たちの間に知れ渡っていたのかも知れません。イエス様の生き様、愛に満ちたことばの先立ちによって、迫害によって散らされたピリピが異郷の地で受け入れられる下準備になっていたのでしょう。
  • 希望をもって隣人愛に生きる…ピリピは、不本意、不条理としか思えない場所、状況のなかにあっても、イエス様の愛の先立ちによって希望をもって語り、隣人に接しました。私たちもこの先どうなるか分からないような不穏な世界の雰囲気のなかにあっても、その雰囲気に呑み込まれることなく、イエス様の愛の先立ちによって確かな希望に包まれ、この地で臆することなく隣人愛に生きることができるでしょう。
  • 結び… ①マスコミ等の情報に惑わされることなく、イエス様に信頼して歩みましょう。②そして、すでにイエス様の愛で耕されている隣人と躊躇することなく、偏見なく関わっていきましょう。 今週、皆さんが置かれている場所で、出会う一人ひとりとイエス様の愛のなかで生き、主に栄光が帰されるよう祈ります。

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