Posted on 01/05/2020 at 17:25, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『平和のカケラ』(イエス・キリストの生涯 その92)(2020.1.5)

それどころか、からだの中で比較的に弱いと見られる器官が、かえってなくてはならないものなのです。(Ⅰコリント人への手紙12章22節)

  • はじめに…主の年2020年、最初の礼拝になりました。明けましておめでとうございます。今年も皆さんの上に主の祝福が豊かにあるようお祈りします。一方、年明け早々、不穏な事態がイラクで起こりました。アメリカの無人機(ドローン)のピンポイント空爆によってイランの司令官が暗殺され、今後、報復の連鎖が危惧されます。
  • 平和のカケラ…今年のいとすぎ教会のテーマは『平和のカケラ ~We are The piece of Peace~』です。“平和のカケラ”。これは昨年のクリスマス・イヴ礼拝を捧げたとき、孫たちに「平和の君なるイエス様が武力ではなく、愛で平和を造られたように僕たちもイエス様の愛で仲良く生きていこう」とメッセージした後に、感想を聞いた際に返ってきた言葉です。イエス様の誕生を記念する礼拝で生まれた、いのちの言葉です。
  • キリストのからだ…私たちは毎年、年始のあいさつをするために実家の両親を訪ねます。たいてい話題は健康のこと、車の免許更新のこと、そして時事のことになります。今年はれいわ新選組の二人の参議院議員のことが話題になりました。「自分一人では何もできない人に、議員が務まるのか?」という率直な疑問でした。戦後復興期に“働け、働け”と鼓舞され、油まみれ、ほこりまみれになって生きてきた両親には、生産性のない(ようにみえる)人の存在は、受け入れるキャパが無いのはもっともなことかも知れません。しかし聖書は「からだの中で比較的に弱いと見られる器官が、かえってなくてはならないものなのです」といい、また、イエス様ご自身、病を負った人々や社会的弱者の側に立ち続け、決して見放しませんでした。イエス様に出会った人たちも同様でした(マルコ2章1-12節他参照)。イエス様を中心(頭)として、様ざまな賜物(特性)をもった人々が、それぞれの弱さ、足りなさに寄り添い、支え合い、助け合って生きていく、その生き様が、社会の物理的、精神的バリアを克服していく強力な力そのものです。
  • 結び…私たち一人ひとりは、平和の君なるキリストのからだの部分として、“平和のカケラ”としてしっかりと組み合わされ、結び合わされ、成長して生きる(エペソ4章16節)真の自由があり、そこに真の喜び、そして真実の愛があります。弱さ、足りなさを持った一人ひとりが、キリストのからだには無くてはならない存在なのです。    We are The piece of Peace

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