Posted on 08/23/2020 at 15:15, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『福音だけでなく、いのちまで』(イエス・キリストの生涯 その122)(2020.8.23)

あなたがたをいとおしく思い、神の福音だけではなく、自分自身のいのちまで、喜んであなたがたに与えたいと思っています。あなたがたが私たちの愛する者となったからです。(テサロニケ人への手紙第1 2章8節)(聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会)

  • はじめに…昨日、デイサービスの帰りの送迎の時、激しい雷雨に見舞われました。送迎車に乗っていたFさんは雷鳴が轟くと「わー怖い」と声をあげていました。それだけ聞くと“雷の怖い子供のような可愛らしいおばあちゃん”といった感じですが、実はその昔、ご主人と山へ草刈りに出かけ、大きな杉の木の下草を刈っている時に、雷がその杉の木に落ちて、その衝撃で体ごと跳ね飛ばされたとのことでした。その強烈な体験が80歳を超える年齢になっても消えることなく心に深く刻まれていて、雷の音が鳴るとその時のことが思い出されるのです。雷を伴ったゲリラ豪雨は30分ほどで止み、その後しばらく大きな虹が空に架かっていました。
  • 光に打たれたパウロ…クリスチャン(この道の者)迫害の急先鋒だったパウロは、ダマスコ途上で天からの強烈な光に打たれ、地に倒れ、イエス様の声を聞く衝撃的な体験をし、それ以来、福音を伝える使徒に変容しました(使徒の働き9章、22章)。私たちもパウロのように劇的な回心とはいわずとも、大なり小なり、人生のターニングポイント(あるいは価値観の転換)になるような体験があるのではないかと思います。私の場合、阪神淡路大震災を直接体験して、その体験がきっかけになり献身に導かれたことが最も大きな出来事です(災厄は神の審きだと断定、断罪するは短絡的過ぎます)。人生の目的が、お金を稼ぐことや、社会的地位を得ることから、主イエス様の生き様に倣うこと、隣人を愛すること、天の御国の実在を確信して生きることへと変えられました。その思いは歳を重ねるにつれてますます確かさが深くなってきます。
  • 福音だけでなく、いのちまで…パウロは、テサロニケ教会の信徒に対して「福音だけでなく、いのちまでも、喜んで与えたい」(テサロニケ2章8節)と言い、信徒一人ひとりのことを自分にとっての「望み、喜び、誇り」(同19節)だと言っています。それほどまでに出会った一人ひとりのことを大切に思い、愛して接しました。つまりパウロは、与える人生、手放す人生のだいご味を味わっていたと言えるのではないでしょうか。
  • 結び…主が御心によって出会わせて下さった一人ひとりと、ときに母のように、ときに父のように、そしてキリストの家族として互いを大切にし、愛を持って接し、イエス様の愛(与え尽くす愛)で万物が満ちますように祈ります。

《追記》

zoom参加を希望される方は10時20分-30分の間に

ミーティングID:448 912 8953

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※注意事項

①礼拝参加時はマイクをミュートにしてください(ミュートにしないとハウリングして音声が聞き取りにくい場合があります)

②イヤホンを使用した方が音声が聞き取りやすい場合があります

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