Posted on 09/20/2020 at 17:14, by matsumoto
兄弟たち。あなたがたのことについて、私たちはいつも神に感謝しなければなりません。そうするのが当然なのです。なぜならあなたがたの信仰が目に見えて成長(=超越)し、あなたがたすべての間で、ひとりひとりに相互の愛が増し加わって(=内に創られて)いるからです。(テサロニケ人への手紙第2 1章3節)
- はじめに…イスラエルでは9月18日の日没からユダヤの新年(ローシュ・ハシャナー)を迎えました。この時期、いとすぎ教会の出来事は何があったかを振り返ろうと思い、日記を開くと、3年前の9月27日、私たちの知人Тさんが闘病生活の末、天に召されたのでした。ちょうどその日、私たちはТさんのお見舞いに病院へ出向いたところでした。Тさんは「フランシスコの平和の祈り」が好きでしたし、その祈りのように生きようとしていました。
- 主の日がすでに来た?…今日のテキストは、先にパウロがテサロニケの教会に最初の手紙を送った後、誤解が生じたため、あらためて手紙を送り、誤った理解を修正するために書かれたものです。その誤解というのは「主の日がすでに来た(世の終わりは近い)」と考えて、働くことをやめたり、落ち着かない生活を送ったり、焦燥感を抱いたりしていたことです(②テサロニケ2章2節)。疫病や災害、社会不安や経済危機が語られる現代に生きる私たちも、自分自身のことと受け止める必要があります。
- 神の国のため…そのような中、迫害や患難(使徒の働き17章参照)に耐え信仰生活を営んでいたテサロニケの兄弟姉妹があり、それらの人々をパウロは「誇りとしている」(②テサロニケ1章4節)と語ります。迫害や患難に耐え忍んでいる兄弟姉妹の在り様は、「神の国のため」(②テサロニケ1章5節)なのだと、パウロは続けて語ります。
- 信仰の成長…信仰は逆境の中で養われ成長します。もちろん自分自身で成長するのではなく、成長させてくださるのは神様です(①コリント3章7節)。霊的な成長は、自分自身でも信じられないほど成長する可能性をうちに秘めています。パウロはテサロニケの信徒たちの成長の姿を“信仰が目に見えて成長し”“愛が増し加わって”と表現しています。それぞれの原語の語意を直訳すれば信仰は“上に向かって超越”し、愛は“内に向かって創造”されると訳せます。その成長の力が疑惑の黒雲を突き抜け、憎しみの荒波を内から鎮めます。
- 結び…疑惑(不信)と憎悪に翻弄される世にあっても、信仰を成長させ、愛を増し加えてくださるイエス様につながって、新しい一週間を生きる皆さんであるよう、祈ります。
《追記》
zoom参加を希望される方は10時20分-30分の間に
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※注意事項
①礼拝参加時はマイクをミュートにすることをおすすめします(ミュートにしないとハウリングして音声が聞き取りにくい場合があります)
②イヤホンを使用すると音声が聞き取りやすい場合があります
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