Posted on 11/22/2020 at 15:28, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『ともに立ち、力を与えてくださった神』(イエス・キリストの生涯 その135)(2020.11.22)

神は私たちに、臆病の霊ではなく、力と愛と慎み(=懲らしめ/へブル語訳)の霊を与えてくださいました。(テモテへの手紙第2 1章7節

  • はじめに…先週、岐阜県御嵩(みたけ)町の郷土史研究家の渡辺正司さんから連絡があったとお話しましたが、渡辺さんと現地のボランティアガイドさんたちと一緒にキリシタン遺物の“ハート形手水鉢”を見に行ってきました。同様の遺物は小豆島、壱岐島にもありますから、今回御嵩町で確認されたことはキリシタン遺物としての確証が更に補完されたと言えます。木立の間をやさしく吹き抜ける風を感じつつ現地に立ち、キリスト教禁教下にあって祈りの灯を絶やさず、信仰を守り継承しようとした先達たちの面影を偲びました。
  • 絶筆の書簡…テモテへの手紙第二は、パウロ絶筆の書簡と言えます。自らの死期が間近に迫るのを感じながら(②テモテ4章6-7節)、パウロは寵愛する愛弟子のテモテに、あたかも遺言を残すように手紙を認(したた)めました。“あなたのことを絶えず思い起こしている”(同1章3節)“何とかして私のところに来てください”(同4章9、11、13、21節)と、最期の別れの時を顔と顔を合わせて過ごしたい、そんなパウロの人間味が滲(にじ)み出ています。
  • キリストの囚人…パウロはこの最後の書簡をローマの獄中で認めました。パウロは獄屋に縛られ、囚人(犯罪人)とみなされました。囚人には自由はありません。壱岐島にキリスト教宣教師を捕らえ拘留した“獄屋跡”があります。そこに捕らえられたモラーレス神父が書き残した書簡があり「私はこの牢獄に心から満足していましたから、世界中で最も名誉に満ちた良い場所とも交換したくなかった(…)私はここを牢獄とは思わず、愛する妻であり喜びの楽園だと考えていた」と記しています。パウロも牢獄にあって御国を思い、義の栄冠を授かるという希望を抱いていました(②テモテ4章1、8、18節)。主に対する信頼は微塵も揺らぐことなく、むしろ更に信頼が増し加えられていきました。人は見捨てても、主はいつもともに居られ、力を与えてくださるという確信に満たされていました(同17節)。それ故に愛弟子テモテにエールを送りました。「主の囚人であることを恥じないように」「臆病風邪に見舞われないように」(同1章7、8節)。聖霊によって“力と愛と慎み”の霊が与えられているのだ、私があなたに按手した時の重さと温かさとともに、主から与えられた召命と使命と任命を今一度思い起こしなさいと、遺言として励ましを与えました。キリストの囚人、キリストの愛に繋がれた者、これに勝る幸いは他にありません。
  • 結び…イエス様が皆さんの傍らに立ち、内側に主の愛が注がれ、弱さを強さに、恐れを愛に、懲らしめを平安に変え、復活の力を与えてくださっています。

《追記》

zoom参加を希望される方は10時15分-25分の間に

ミーティングID: 619 286 4474

パスコード: 3D3M69

でアクセスしてください。

※注意事項

①礼拝時はホストから参加者のマイクをミュート設定にします(ミュートにしないとハウリングして音声が聞き取りにくい場合があるためです。礼拝後はミュート設定を解除をします)

②イヤホンを使用すると音声が聞き取りやすい場合があります

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