Posted on 01/24/2021 at 16:30, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『使徒信条(その7)』(イエス・キリストの生涯 その144)(2021.1.24)

三日目に死人の内よりよみがえり、(①コリント15章4、20節参照)

  • はじめに…引き続き私たちの友人家族を、主が愛をもって包み、新たな歩みを導いてくださっている出来事をともに体験させていただいています。それは人の知恵能力をはるかに超える活けるよみがえりのイエス様の恵みの出来事です。「ああ、神の知恵と知識との富は、何と底知れず深いことでしょう」「すべてのことが、神から発し、神によって成り、神に至る」(ローマ11章33、36節)、まさにそんなパウロの心境です。
  • 三日目の意味は“初穂”…「三日目に死人のうちよりよみがえり」と言うと、クリスチャンならイエス様が十字架にお掛かりになられ、死んで、墓に葬られ、三日目の日曜日の朝に復活された、そのように記憶していることと思います。パウロは三日目のよみがえりと“初穂”との関連を①コリント人への手紙15章20節で記しています。ユダヤの祭りに「初穂の祭り」があります。この祭りは、過越の祭りの後に来る最初の安息日の翌日に祝われました(レビ記23章10-11節)。つまり過越の祭りから初穂の祭りまでの期間は変動しますから、イエス様ははっきりとご自身の十字架と復活の時を知っておられ、同時にその意味を啓示されたのです。
  • 活けるよみがえりのイエス様…今、私たちは使徒信条を学んでいますが、その根拠は聖書です。そして私たちの信仰生活の規範は聖書です。しかし聖書の文字や知識によって私たちは生きるのではありません。聖書に証しされ、私たちの実生活のなかで働かれる、主の愛と恵みによって生かされるのです。内村鑑三は言いました。「世界の中心はユダヤであり、ユダヤの中心はエルサレムであって、その郊外に立てられし十字架が聖書の中心、また歴史の中心であると解して聖書も天然も完全に解釈が出来ると思う。更に進んで言わんと欲す。『聖書の中心は聖書を離れてあり』と。それは活けるキリストである」
  • よみがえりの主の最初のことば…復活のイエス様は、憐れみと愛に満ちたお方です。イエス様の亡き骸の消えた空の墓の外でマグダラのマリヤはたたずんで泣いていました(ヨハネ福音書20章11節)。そのマリヤにイエス様は「なぜ泣いているのですか。だれを捜しているのですか」と優しく語りかけられたのです(同15節)。これは、よみがえられたイエス様が語られた人類史上最初のことばでした。そして「マリヤ」(同16節)と名前を呼んでくださったのです。一粒の麦として死なれたイエス様が初穂としてよみがえられ、いのちのパンとして私たちとの関係を回復し、私たちを養い、導いてくださっています。
  • 結び…私たちは、活けるよみがえりのイエス様に包まれて生かされています。

《追記》

zoom参加を希望される方は、事前に電話連絡後、主日礼拝当日の10時15分-25分の間に

ミーティングID: 619 286 4474

パスコード: 3D3M69

でアクセスしてください。

※注意事項

①礼拝時はホストから参加者のマイクをミュート設定にします(ミュートにしないとハウリングして音声が聞き取りにくい場合があるためです。礼拝後はミュート設定を解除します)

②イヤホンを使用すると音声が聞き取りやすい場合があります

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