Posted on 02/21/2021 at 09:42, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『使徒信条(その11)』(イエス・キリストの生涯 その148)(2021.2.21)

聖なる公同の教会、聖徒の交わり、(申命記7章6-8節、マタイ16章13-19節、エペソ1章22-23節、同4章4-6、15-16節、ヨハネ17章11-26節他参照…聖霊なる神②)

  • はじめに…私がはじめて教会に足を運んだのは、国鉄(現JR)を一時帰休して大学に通っている時でした。牧師の語る礼拝のメッセージを初めて聞き、内容は良く分かりませんでしたが、魂を揺さぶられる体験をしました。すぐには教会には繋がりませんでしたが、29歳でバプテスマ(洗礼)を受けて以来、今日まで信仰生活を続けさせて頂いています。一般的にキリスト教会では受浸した教会のことを“母教会”と呼んでいます。教会は母として信仰を育むところだと言うことでしょう。
  • 教会(=呼び出される)…教会のことをギリシア語で「エクレーシア」と呼びます。“呼び出される”という意味です。ヘブル語では「カーナス」で“集まり”です。つまり私を含め皆さんお一人ひとりが自分で教会を選んだのではなく、聖霊様(=傍に呼ぶ・慰めの意)によって呼ばれ、共に集められているのが教会です。そしてその教会は“キリストの体”(エペソ1章23節)です。
  • 聖なる公同の教会…「聖なる教会」と言うと、聖人君子のような何の欠点もなく何でも完璧にこなせるような清廉潔白で能力のある人が集まるところのような印象を受けるかも知れませんが、そうではありません。「聖」とは、神様に“取り分けられた”という意味です。神様は、能力のあるなしや、役に立つか役に立たないかという基準で選ばれるお方ではなく、主ご自身の愛によって招き入れて下さるお方です。私たち(欠点多き罪人)の本質をよくご存じの主が、その私たちを世から取り分け、働かれる現場が教会だと言うことです。そして「公同」は、“普遍的”と言うことで、教会の頭であり主であるイエス様は他のものに変わることはないと言うことです (へブル13章8節)
  • 聖徒の交わり…イエス様が頭であり、そのからだである教会には交わりがあります。その中で核になるものが聖さん(主の晩餐)です。これは形だけの儀式ではありません。聖さんを通して聖霊様が働き、体中を血が巡り、栄養が体の隅々にまで行き渡るように、イエス様の愛が一人ひとりの内側に満ち満ちて、主の愛に感謝し、お互いを赦し、慰め、いたわりあってキリストの身の丈にまで成長していきます。キリストのからだである教会の成長は、各個教会の枠を超える聖霊様の働きです。
  • 結び…今日もイエス様ご自身なる教会に愛によって招かれ、ともに生かされていることを感謝します。

《追記》

Zoom礼拝参加を希望される方は、事前に電話連絡後、主日礼拝当日の10時15分-25分の間に

ミーティングID: 619 286 4474

パスコード: 3D3M69

でアクセスしてください。

ホストから参加の許可設定をします。

※注意事項

①礼拝時はホストから参加者のマイクをミュート設定にします(ミュートにしないとハウリングして音声が聞き取りにくい場合があるためです。礼拝後はミュート設定を解除します)

②イヤホンを使用すると音声が聞き取りやすい場合があります

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