Posted on 02/28/2021 at 09:46, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『使徒信条(その12)』(イエス・キリストの生涯 その149)(2021.3.1)

罪の赦し、身体のよみがえり、永遠の生命を信ず。アーメン(詩篇49篇7-9、15節、イザヤ43章4-5節、11節、25節、マタイ18章21-22節、①コリント15章20-26節、50-58節他参照…聖霊なる神③)

  • はじめに…2月17日から受難節が始まりました。今年のイースターは4月4日になります。昨夜は大きな真珠のような満月が出ていました。黙示録に“新しいエルサレム”のビジョンが記されてあり、そこには12の門があり、「真珠からできていた」(黙示録21章21節)とあるので、しばし思いを馳せました。次の満月が3月29日(月)で、その後に来る主日がイースターになります。
  • 罪の赦し…今日が使徒信条の学びの最終回です。“罪の赦し”が聖書の中心的メッセージと言ってもよいと思います。そもそも罪(原罪)は、最初の人間アダムとエバによって人類に引き継がれました。罪は神との約束(契約)を破棄することで始まり、“責任転嫁”“責任転「主」”あるいは“自己正当化”をするようになります(創世記3章12-13節)。それは人間には罪の代価を自分で支払うことは出来ないからです(詩篇49篇7-8節)。それは主ご自身のみがお出来になることです。
  • 罪の代価…神様は私たちに息を吹き入れ、私たちを生きる者として下さいました。つまり聖霊を受け、神様との関係の中で、その愛の中で生きる者としてかけがえのない者として造られたのです(イザヤ43章4節)。イエス様はたとえで「1万タラント」の負債を負ったしもべの話をしています(マタイ18章24-27節)。1日5千円の日当なら3千億円です。それを主は免除してくださる方です。私たちの犯した罪がどれほど重大であったとしても、主の私たちに対する愛は、その独り子イエス様を贖いの代価とするほどに大きいのです。
  • 身体(人生)のよみがえり…私たちは罪赦された者として、人生を新しく生き直す者として主に招かれています。イエス様は“死”に打ち勝たれた方です。罪によって死がこの世に入り込み、“死のとげ”が私たちを悩まし続けます。過去を悔い、将来を不安に陥れ、生きる意欲を弱らせます。しかしイエスの十字架の贖いの死、そして初穂としての復活によって、御国に向かって、今、生かされている瞬間を喜びと感謝と希望を持って、主とともに、そして隣人とともに愛の中で生きる者となり、事実なっています。QОL(Quality Of Life)という福祉用語がありますが、教会における罪の赦し、身体のよみがえり、永遠の生命こそ、主の愛に満ち満ちた究極のQОL(Quality Of Lord)、御国の先取りです。
  • 結び…創造の父なる神、救い主イエス様、慰めの聖霊様を感謝します。

《追記》

Zoom礼拝参加を希望される方は、事前に電話連絡後、主日礼拝当日の10時15分-25分の間に

ミーティングID: 619 286 4474

パスコード: 3D3M69

でアクセスしてください。

ホストから参加の許可設定をします。

※注意事項

①礼拝時はホストから参加者のマイクをミュート設定にします(ミュートにしないとハウリングして音声が聞き取りにくい場合があるためです。礼拝後はミュート設定を解除します)

②イヤホンを使用すると音声が聞き取りやすい場合があります

You can follow any follow up comments to this entry through the RSS 2.0 feed.

Comments are closed.

アーカイブ ログイン お問い合わせ