Posted on 03/14/2021 at 04:59, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『名を呼ばれるイエス様』(イエス・キリストの生涯 その151)(2021.3.14)

「人の子は、失われた人を捜して救うために来たのです」 (ルカ福音書19章10節)

  • はじめに…いとすぎ教会も昨年8月からzoomでの礼拝参加が出来るように環境を整えています。基本、顔を直に合わせて礼拝することが大切と考えていますので、積極的に導入した訳ではありませんでしたが、思いの外、その有益性と可能性を実感しています。各大学でもオンライン授業が昨年4月から行われているようですが、対面授業の時は欠席者を気かけることが無かった教員たちが、オンラインになり、欠席学生一人ひとりにメッセージを送る等、アプローチするようになった結果、対面授業と比べて脱落する学生が激減したそうです。学生が学習意欲を失ったのは、「教員に個体識別されていない」ということが一因であって、教員から名前を呼びかけられたことで、ささやかながら社会的承認を得て、救われた(意欲を回復した)ということです。
  • 取税人ザアカイ…先主日、エリコは海抜マイナス258mで、世界で最も標高の低い町であることを学びました。今日は、そのエリコで取税人の長として生活していたザアカイとイエス様の出会いの出来事です。取税人という職業は、ローマに魂を売った裏切り者、罪人のレッテルを、同胞のユダヤ人たちに貼られ、嫌われていました。なぜザアカイは取税人という職業を選んだのでしょうか? もしかしたら“背が低かった”ことのコンプレックスがあり、それを補う優越感を得るためだったのかも知れません。あるいは取税人という仕事に純粋に誇りを持っていたかも知れません。ザアカイという名の意味は「純粋」という意味だからです。富がその人の社会的地位を表すと考えていたローマ社会の考え方からすれば、社会的には頂点にまで登りつめたと言っても良いかもしれません。しかし、何か満たされない思いで過ごしていたのでしょう。そこへイエス様が通りかかったのです。そして背の低かったザアカイはいちじく桑の木に登ります。
  • 名を呼ばれるイエス様…イエス様はいちじく桑の木の下から「ザアカイ」と名を呼ばれました。きっと優しい親愛の情のこもった呼びかけだったことでしょう。それは両親が呼んでくれた響き以上のものがあったと思います。ザアカイという名はヘブル名ではゼカリヤで「主は覚えている」という意味があります。その名の通り、主は最初からザアカイを丸ごとすべてご存じなのです。同様に私たち一人ひとりのことも、私たち以上にご存じなのです。
  • 結び…イエス様はいつも私たちを、愛をもって見つめ呼びかけてくださいます。「人の子は、失われた人を捜して救うために来たのです」

《追記》

Zoom礼拝参加を希望される方は、事前に電話連絡後、主日礼拝当日の10時15分-25分の間に

ミーティングID: 619 286 4474

パスコード: 3D3M69

でアクセスしてください。

ホストから参加の許可設定をします。

※注意事項

①礼拝時はホストから参加者のマイクをミュート設定にします(ミュートにしないとハウリングして音声が聞き取りにくい場合があるためです。礼拝後はミュート設定を解除します)

②イヤホンを使用すると音声が聞き取りやすい場合があります

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