Posted on 05/02/2021 at 05:20, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『みこころが行なわれますように』(イエス・キリストの生涯 その158)(2021.5.2)

御国が来ますように。みこころが天で行なわれるように地でも行なわれますように。(マタイの福音書6章10節)

  • はじめに…私たちは事実(真実)の本質を理解することが、なかなか出来ません。むしろ自分勝手な解釈、判断をしてしまいがちです。そのことを「正常バイアス」とか「認知の歪み」と言います。危険が間近に迫っているのに「まあ、これくらいなら大丈夫だろう…」とか、「どうせ自分なんか何も出来ないし…」「誰からも愛されていないし、幸せになれない…」とか、「あの人は○○な人だから」とか、です。
  • みこころ…先主日は「御国」について学びました。その「御国」は、人間の法律や道徳、法則や理論ではなく、「みこころ」によって治められているのです。では「みこころ」とは一体、何でしょうか? 視点を変えて「みこころ」が行なわれる場は、どのような雰囲気に包まれるでしょうか? 先週の礼拝後、ズームで参加しているМさんが「祝祷が祈られる直前の沈黙のとき、天から水が流れる音のような、大勢の人(天使)の声のような音が聞こえました」と証ししてくれました。まさしく“聖なる都、新しいエルサレム(天の御国)の様子(黙示録21、22章)”が実況中継されたのでしょう。その証しを聞いて私たちは確信と励まし、喜びを実感しました。まさに、天で行なわれている「みこころ」が、この地でも行なわれていることの証しなのだと言えるのではないでしょうか。
  • みこころが行なわれますように…「みこころ」はヘブル語で“ラーツォーン”です。①みこころをおこなう、②喜び、③愛する、④喜んで受け入れる、という意味です。つまり「みこころ」とは、主が私たちを喜んでおられること、私たちを愛しておられること、そして私たちを受け入れておられることです。そして「行なう」は“アーサー”で、①する、②造る、③恵みを施す、④いけえをささげる、という意味です。つまり「みこころ」は、私たちに対する主の創造、恵み、そして犠牲の御業だということになります。大胆に今日のテキストの祈りを意訳すれば「天の御国と同様、今、この地に生きる私たちを日々創造し、恵みを施し、身を投げ出して、私たちを愛し、喜び、包み込んでくださいますように」という祈りになります。
  • 結び…主は、私たちの祈りを聞いて下さり、創造のはじめに「非常に良かった」と感動されたのと同じ霊の感動をもって私たち一人ひとりの存在を喜んで下さり、祈りに応答して下さる方です。主に信頼しつつ、新しい月も新しいことをして下さる期待と希望をもって歩んでいけることを感謝します。

You can follow any follow up comments to this entry through the RSS 2.0 feed.

Comments are closed.

アーカイブ ログイン お問い合わせ