Posted on 06/06/2021 at 09:33, by matsumoto
パウロがこの幻を見たとき、私たちはただちにマケドニヤへ出かけることにした。神が私たちを招いて、彼らに福音を宣べさせるのだ、と確信したからである。(使徒の働き16章10節) (出典:聖書 新改訳 ©1970,1978,2003 新日本聖書刊行会)
- はじめに…先週、『いのちの停車場』という、吉永小百合主演の映画を観てきました。東京の救命救急センターで医師として第一線で働いていた咲和子(吉永小百合)が、ある事件をきっかけに、故郷の金沢で「まほろば診療所」の在宅医師として再出発をすることに。そこで様々な患者と出会い、戸惑いながら、まほろばのメンバーと共に、“いのち”に優しく寄り添い、避けることのできない死を迎える患者とその家族が、それぞれの立場から病と向き合い、葛藤し、受容し、成長してゆくというストーリーです。
- まほろば…「まほろば診療所」の“まほろば”とは、「素晴らしい場所」「住みやすい場所」という意味の日本の古語。つまり楽園、理想郷です。聖書的に言えば“エデンの園”“新天新地”です。天地創造の主の臨在があり、涙が拭われ、死もなく、悲しみもなく、叫びもなく、苦しみもない、すべてが新しくなる所で、イエス様が私たちに準備して下さっている所です。主イエス様が共におられる(インマヌエル)なら、そこが“まほろば”です。
- まぼろし…パウロは“まぼろし”を見ました。“まぼろし”は、幻想、幻覚ではなく、ビジョンです。ヘブル語の定義では「暗闇を通して突き刺さる光として物理的な存在で見られるものを超えて見えるもの。その知覚能力」です。パウロの見た“まぼろし”の内容は、ひとりのマケドニヤ人が「マケドニヤに渡って来て、私たちを助けてください」と懇願するものでした(使徒16章9節)。パウロたち一行は、このマケドニヤ人の「私たちを助けてください!」という切なる願いを、主の招きと確信し、アジアの西端を離れ、ヨーロッパへ向け、エーゲ海を渡る決断を下したのです。ダマスコでの復活のイエス様との出会いが蝶ちょの羽ばたきとなり、聖霊の風に乗って、アジア、ギリシャ、ローマ、そして東の最果ての日本へ、福音が伝播したのです。
- 崖っぷちで…パウロが、まぼろしを見たのは“ある夜”でした。そしてアジアの西の端でした。霊的な意味で言えば、意識と無意識の境界線上、生死の境目、先の見えない崖っぷち(벼랑 끝)です。しかし、人間的なピンチは主と出会うチャンスです。絶望から希望の出来事、死からの復活の出来事を、主が体験させて下さいます。
- 結び…イエス様は、まほろばのまぼろしを見せて下さり、いのちの灯台に光をともし、確信を与え、背中を押して下さいます。
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