Posted on 08/22/2021 at 10:13, by matsumoto
しかし、パウロが正義と節制とやがて来る審判とを論じたので、ペリクスは恐れを感じ、「今は帰ってよい。おりを見て、また呼び出そう。」と言った。(使徒の働き24章25節)
- はじめに…先週、アクション俳優の千葉真一さんが亡くなったとの報道がありました。芸名「JJサニー千葉」のJJは、ジャスティス(正義)とジャパンだと中日春秋にありました。内村鑑三も“二つのJ”を愛しました。ジーザスとジャパンです。内村鑑三はこう記しています。「私どもにとりましては、愛すべき名とては、天上天下ただ二つあるのみです。イエス・キリストと日本国(…)この愛すべき二つの名のために、私どもの生命をささげようとおもうものです」。
- もう一つのJ…今日の箇所で、パウロは“もう一つのJ”を取り上げています。ジャッジメント(審判)です。ペリクス同様、決定的な審判の前に、私たちは恐れます。正義と節制には程遠く、本質として不正義と不節制な存在であることを認めざるを得ないからです。パウロの語る正義と節制、そして審判の前に、ペリクスは耳が痛かったでしょうし、良心の呵責を多少なりとも感じたことでしょう。残念なのは、生き方の方向転換(悔い改め)に至らなかったことです。ヨハネ3章18節にある通りです。「(御子イエスを)信じない者は、すでにさばかれている」。
- 愛…天地創造の神は、愛ゆえに御子イエス様をこの世に遣わされたのです。永遠のいのちを持つため、すなわち、イエス様の差し出す御手を握りしめるようにするためです。さばくためではなく、救うため(ヨハネ福音書3章17節)です。パウロ自身もローマ人への手紙の中に記しています。「キリスト・イエスにある(つながっている)者が罪に定められることは決してない」「どんなものも主イエス・キリストにある神の愛から、私たちを引き離すことはできない」 (ローマ8章1節、39節) 。愛とは、私たちの罪を贖うために身代わりとなって十字架の苦しみと死を体験し、さらに復活した主イエス様が御手を伸ばし、暗闇の世に溺れて死にかかってる者を救い出そうとしている、その愛を身にしみて実感するものだということができるのでしょう。元駐ギリシャ大使の齋木俊男氏は自身のうつ病の経験を経て愛の本質を「愛は相手を大切に感じるあたたかい感情である」と述べています。イエス様の私たちに対する愛そのものです。そこから溢れる感情は喜び(JOY)です。
- 結び…聖霊様が祈りの中で、私たちの内側からイエス様の愛を湧きあがらせてくださり、主のあたたかい愛を実感させてくださることを感謝します。
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