Posted on 09/19/2021 at 09:17, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『ばら物語』(イエス・キリストの生涯 その177)(2021.9.19)

荒れ野よ、荒れ地よ、喜び躍れ/砂漠よ、喜び、花を咲かせよ/野ばらの花を一面に咲かせよ。(イザヤ書35章1節/新共同訳) The wilderness and the solitary place shall be glad for them; and the desert shall rejoice, and blossom as the rose.(同/KJV)

  • はじめに…先週から家内がブリザーブドローズに挑戦しています。自宅玄関で鉢植えにして育てているバラを切り、ブリザード液に浸しています。どんなふうに仕上がるのか楽しみです。アレンジして作品になったら後日フェイスブックに写真をアップしようと思います。世界中にバラにまつわる物語(たとえば『美女と野獣』)や歴史、町おこしの取り組み(たとえば広島県福山市の「ばらのまち福山」やイギリスの「オープンガーデン」)があるように、バラには人々を魅了してやまない力と可能性があるように思います。
  • 聖書の中のバラ…聖書のみことばのなかに“バラ”が記されているか調べてみると、数カ所ほどありました。そのなかで心に留まったみことばが本日のテキストのイザヤ書35章1節です。35章はシオンの回復と神の民の救いについての預言です。つまり“バラ”はその象徴としての存在だと言えます。
  • イエス様の語られたバラ…一度、イエス様はバラを持ち出してたとえ話をされています。「木はどれでも、その実によってわかるものです。いばらからいちじくは取れず、野ばらからぶどうを集めることはできません。」(ルカの福音書6章44節) と。サラッと読むと、いばら/野ばらは悪い木、いちじく/ぶどうは良い木と読んでしまいがちです。しかし、ルカの福音書13章6-9節でイエス様は「実のみのならいいちじくの木」の話をされています。いちじくの木でもぶどうの木でも実をつけない木もあるということです。ここで語られているのは、イエス様は、実りのないいちじくの木、実りのないぶどうの木が実をつけるまで待ってもらうよう仲介をし、創造の父なる神様は、そしてその弁護を受けて忍耐し時が満ちるまで待ち続ける父なる神と子なるキリストとの関係と言えます。そしてイエス様が十字架において贖いの血を流され、言い替えれば聖霊の水がこの地に(さらに黄泉にまで)注がれた事実により、いちじくもぶどうも、そしていばらも野ばらも、すべての被造物が贖われ、新しくなると、福音の大路が明らかにされ、その感動に霊、たましい、からだすべてが喜び躍る、そう先見者イザヤは預言したのでしょう。
  • 結び…天地創造の父なる神様、贖いの主イエス様、弁護者であり養護者である聖霊様の栄光に照らされ、輝く、回復したエデンの園を確信させて頂ける恵みを感謝します。

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