Posted on 10/31/2021 at 19:19, by matsumoto
たとい、あなたの民イスラエルが海辺の砂のようであっても、その中の残りの者だけが立ち返る。壊滅は定められており、義があふれようとしている。すでに定められた全滅を、万軍の神、主が、全世界のただ中で行おうとしておられるからだ。(イザヤ書10章22-23節/ローマ人への手紙9章27-28節参照)
- はじめに…先週、自身も被爆者で、核廃絶を願い続け、証言活動を続けてきた坪井直さんが亡くなりました(享年96)。活動の原点となったのは、広島に原爆が投下された日、だれからも助けてもらえず、泣きながら燃える街の方へ逃げていく女の子の後ろ姿を見たが、自身もけがをして、何もできずに見送ったことだと言います。口癖は“ネバーギブアップ”。「核兵器が廃絶されるのをこの目で見たい。でも私が見られなくても、後世の人に必ず成し遂げてもらいたい」とも。
- 残りの者…今日のみことばのキーワードは“残りの者”です。イザヤ書10章22節は「残りの者だけが立ち返る」となっているところを、この箇所を引用しているローマ書9章27節では「救われるのは、残された者である」となっています。立ち返り=救いと理解できます。イザヤは自身の息子の名を「シェアル・ヤシュブ(=残りの者は帰ってくる)」と名づけ、その息子を連れて時の王アハズに会うよう、主に命じられています(イザヤ書7章3節)。つまりその息子の名そのものがしるし=預言、メッセージになっているのです。アハズはアラムとエフライムが攻めて来るとき、アッシリヤと手を結び、国難を乗り切ろうとしました。短期的には成功したように見えましたが、その後アッシリヤに占領され、さらにバビロン捕囚(前587年)なり、南ユダ国は崩壊することになります。(自分自身を含む)人に頼り、主に信頼しなかった故です。しかし主はあわれみによって一握りの主に信頼するイスラエルの民を残し、また異邦の民であるペルシャの王クロスの心(霊)を動かし、約束の地への帰還を成し遂げられました(エズラ記1章1節)。
- 主の忍耐…その歴史を踏まえてパウロは、イザヤの語った「残りの者」の救いは、異邦人の救いにまで発展し、さらにはすべての人の救いに至るのだ、 それがイスラエルの聖なる方のご計画なのだとローマ書7章から11章にかけて旧約、特にイザヤ書を引用しながら語っています。
- 結び…主は、あなたの救い(立ち返り)のために決してあきらめないお方です(ローマ書9章22、24節)。あきらめないお方に対する信頼は失望に終わりません(同33節)。
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