Posted on 01/30/2022 at 20:51, by matsumoto
わたしは自分にかけて誓った。わたしの口から出ることばは正しく、取り消すことはできない。すべてのひざはわたしに向かってかがみ、すべての舌は誓い(イザヤ書45章23節)/ (…)すべてが、ひざをかがめ、すべての口が、「イエス・キリストは主である」と告白して、父なる神がほめたたえられるためです。(ピリピ2章10-11節)
- はじめに…先週1月27日はユダヤ人強制収容所のアウシュビッツが解放されたことを記念する『国際ホロコースト記念日』でした。現在、イスラエルに在住する生存者は、16万5800人とのこと。平均年齢は85歳で3人に1人は貧困で、チャリティからの支援を受けているそうです。ユダヤ人は受難の民と言えます。エジプトでの苦難、バビロン捕囚、アウシュビッツ、謂われなき迫害。ベネット首相はこの日、次のようにメッセージを発信しています。「イスラエルは、(世界の)無関心に対するユダヤ人の抵抗である。(…)この記念の日、不条理への無関心と戦い、犠牲となった人々をおぼえよう。ユダヤ人は2度と無力にはならない。2度とホームレスにはならない。ホロコースト(ショア―)の恐怖は消せないが、私たちと世界のよりよい未来を作ることは可能だ。「Never Again」は単なるキャッチフレーズではない。」
- 油そそがれた者クロス…イザヤ書45章は44章の最終節「わたしの牧者」に続けて「油そそがれた者」と、主がペルシャの王クロスに語られたことから始まります。エズラ書では「主はペルシャの王クロスの霊を奮い立たせた」とあります。つまり主は、異邦人の霊を奮い立たせ、牧者、王として、主のご計画(目的)の成就のために用いられるのです。
- 仰ぎ見て救われよ…その主の目的は、すべての人が救われることです。22節に「地の果てのすべての者よ。わたしを仰ぎ見て救われよ」とある通りです。救われるためはどうしたらよいのでしょうか? それは、「わたし(主)を仰ぎ見ること」です。“仰ぎ見る”と訳されてあるところを原語は“顔を向ける”です。人間はラテン語では「ホモサピエンス(知恵ある者)」であり、ギリシャ語では「アンスローポス(上を向く者)」です。ヘブル語では「アーダーム(土から造られた者)」です。つまり創造主は人間を“主に顔を向ける者” “イエス・キリストは主である”と告白する者として創造されたのです。
- 結び…ただ一度、完全な全焼のいけにえとしてご自身を献げられた独り子なるイエス様に顔を向けるとき、絶望も希望も失敗も成功もひっくるめて真に愛に満たされた瞬間瞬間を生きられる、そうみことばは語っています。感謝
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