Posted on 07/17/2022 at 18:45, by matsumoto
主に不可能なことがあろうか。わたしは来年の今ごろ、定めた時に、あなたのところに戻って来る。そのとき、サラには男の子ができている。」(創世記18章14節) / 約束のみことばはこうです。「私は来年の今ごろ来ます。そして、サラは男の子を産みます。」(ローマ人への手紙9章9節)
◆はじめに…先週、眞津代牧師の友人が加来国生(かく くにお)牧師(故人)のメッセージCD(約40年程前に語られたメッセージ)を送ってくれました。早速数本聞きました。「くすのか聖会」という集会でのメッセージで眞津代牧師は懐かしく聞き、私は新鮮な思いで聞きました。その集会の司会は私たちに牧師按手をして下さった若かれし時の恩師でした。
◆白い鳥⁉…加来先生は徴兵で中国(旧満州)に赴いていたようで、そこで敗戦を迎え、兵役を解除され、とりあえず北京行の汽車を待っていたそうです。失意、喪失感で駅のホームでうつむいていたところ、目の前を白くてきれいな鳥が地面を滑るように飛んでいると思ったら、ふわっと空に舞い上がり、それは美しい光景だったと。その光景を見て、内側から生きる希望、聖霊の熱情が湧いてくる体験をしたそうです。
◆立ち塞がる現実を前にして…今日のテキストは、年老いたアブラハムとサラにみことばが臨んだ箇所です。常識的には不可能と思える現実があるにもかかわらず「来年の今ごろ、男の子を産む」との約束のみことばが語られたのです。アブラハムもサラも人間的な可能性はゼロと言える現実を前に、心の中で苦笑、嘲笑しました。約束のみことばに信頼することができなかったのです。
◆選ばれたアブラハムの祈り…しかしアブラハムは主から選ばれ、主の道を守り、主の約束を成就する(すべての国々を祝福する)器です(創世記18章18-19節)。ゆえに約束の成就に向けて主は計画を進め、約束の子イサクを授けられます。このときの喜びはどれほどだったでしょうか。また、イサクの誕生までの間、アブラハムとサラの祈りはどのような祈りだったでしょうか? 李天秀牧師はかつて主日礼拝のメッセージで「私たちが、ただ主だけを求めると、道は自然と現れ、開かれるようになっています。それは創造前に神の愛の内で、神のいのちが私たちの道を先に予定したからです」と語られました。つまり、「問題を解決してください」と祈るのではなく「主を仰ぎ見るようにしてください」と祈りなさいと。
◆結び…「神は私たちを世界の基の置かれる前から彼にあって選び、御前で聖く、傷のない者にしようとされました。」「창세 전에 그리스도 안에서 우리를택하사 우리로 사랑 안에서 그 앞에 거룩하고 흠이 없게 하시려고」(エペソ1章3-4節)
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