Posted on 04/09/2023 at 17:32, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『親密な関係を築かれる主』(新約に引用されている旧約 その43)(2023.4.9)

わたしは彼にとって父となり、彼はわたしにとって子となる。もし彼が罪を犯すときには、わたしは人の杖、人の子のむちをもって彼を懲らしめる。(②サムエル7章14節) /わたしはあなたがたの父となり、あなたがたは私の息子、娘となる、と全能の主が言われる。(②コリント6章18節)

◆はじめに…朝、サッシ戸のカーテンを開けると“真っ黒”な夜。しかし都会と違って、一気に夜が明け、青い空と緑の木々が現れます。野の草花を愛で、潮風を受けながら徒歩でフェリーの港までは歩いて通勤します。また、再び旧交を温めたり、新たな出会いも与えられています。日々新しい“復活”の連続です。

◆杖、むちで懲らしめる?…今日のテキストの主題は、②サムエル記7章は、ダビデ王国の永続の約束であり、②コリント6章は、今は恵みの時、救いの日ということです。この二つを総合するとイエス様の永遠の愛と言えるでしょう。②サムエルでは、全能の主がダビデと、続く子々孫々と親子関係を結ぶと語られています。親密な関係を持つと。だから、神の子として相応しい品性を身に着けさせるために杖とむちで懲らしめる、そう語られています。確かに、私たちの人生で杖とむちでうち叩かれるような出来事を体験します。しかし、父なる神は愛なる方です。穴に落ちた羊を杖で助け、むちで敵を追い払う方です。私たちが絶望してしまうことのないように、共にいて愛を持って導いて下さる方です。

◆恵みの時、救いの日…先週の金曜日、以前、親しくお交わりのあった壱岐の友人と久しぶりに顔を合わせて食事をしました。そこでKさんが、病院帰りのバスの中での出来事を話してくれました。バスに乗ろうとしていた初老の紳士がなかなか乗り込めずにいたそうです。両手に杖を持ち、おまけに大きな荷物も。ふとその人の足元を見ると、何と片足が無かったそうです。それでKさんは声を掛け、席まで介助したとのこと。実はKさんは乳がんで全摘手術をしなければならないのですが、片足の無い姿を人目に晒さなければならない老人に比べ、自分はたとえ片方だけになっても服で覆い隠せる。そう思ったら自分の問題、悩みなんて取るに足らない、そう思ったそうです。

◆わたしのくびき…②コリント6章でパウロは、“つり合わぬくびきをつけるな”と忠告しています。では、つり合うくびきとは? イエス様をおっしゃいました。「わたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすれば安らぎがきます」「わたしのくびきは負いやすく、荷は軽い」(マタイ11章29-30節参照)

◆結び…主イエス様はご自身、まったく罪無き方であるにもかかわらず、私たちに代わってむち打たれ、くびきにつけられました。主イエス様は救い主です。

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