Posted on 04/29/2023 at 21:04, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『世の知恵は愚か』(新約に引用されている旧約 その46)(2023.4.30)

神は知恵のある者を彼ら自身の悪知恵を使って捕らえる。彼らのずるいはかりごとはくつがえされる。(ヨブ記5章13節) /なぜなら、この世の知恵は、神の前では愚かだからです。こう書いてあります。「神は、知者どもを彼らの悪賢さの中で捕らえる。」(①コリント人への手紙3章19節)

◆はじめに…眞津代牧師が歯医者の送迎で知り合った方が、「自宅の近くにキリシタン遺跡がある」とのことで、先週、その方の案内で史跡を訪ねました。それは『マリヤ観音(聖母子像)』でした。その存在は私たちも写真で知ってはいましたが、実際に現地へ赴き、実物を拝見したのは初めてでした。幼子イエス様を抱きかかえるマリヤさんの穏やかな顔からはイエス様を愛おしむ思いが、そして母の胸元にしがみつく幼子イエス様からは、母を慕う思いが伝わって来るようでした。その方は仏教徒ですが、たとえ信仰が違っても、自身の暮らす地域に残っているキリシタンの歴史的遺産を後世に継承していこうとする姿勢には敬服します。

◆責める友…今日のテキストの箇所はヨブが災禍に見舞われているとき、友人達がヨブのもとに赴き、最初は慰めようとしていたはずが、結局、災いの原因はヨブ自身の罪の結果であり、悔い改めを迫るものに。神の代弁者の如く、あるいは神自身の如く、ヨブに言葉で詰め寄りました。私(たち)はヨブよりも賢いし義しい。ヨブは間違っている。だから友達として忠告している。確かに、目の前の現象(ヨブに降りかかる災厄)だけを見れば、もっともなアドバイスです。

◆決定的な見落とし…しかし、その友人達の責めには、決定的に見落としているものがあります。それはヨブ自身も知らないことでした。それは1、2章で記されている「天上での神と御使いおよびサタンの会議」でした。現代に生きる私たちも、これと同じ決定的な見落としがあり、それによって関係がギクシャクしたり、壊れたりします。ワンフレーズだけを切り取って原因と結果を短絡的に結び付けたり、一部分の事実だけを切り取って、真実を捻じ曲げたりすることでお互い責め合ったり、傷つけあったりします。意図的だったり、無意識的だったりします。

◆責めるよりやさしさ…実際は、私達の知識や常識や理解を超えた主の大いなる御心が働いていることに思いを馳せることが大切です。ですからパウロは「誇るな」「愚かになれ」(①コリント3章18、21節参照)と告げています。相手を“責めるよりやさしく接することが大切”という壱岐FMの生放送から流れて来たリスナーのコメントは的を得ていて、心を打ちました。

◆結び…主はお生まれになったときは母マリヤの懐に、十字架にお掛かりなったときは父なる神の懐に、愚直に、誇ることなく全存在を丸ごと委ねきりました。

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