Posted on 06/10/2023 at 20:48, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『主の声は復活の調べ』(新約に引用されている旧約 その51)(2023.6.11)

しかし、その呼び声は全地に響き渡り、そのことばは、地の果てまで届いた(詩篇19篇4節) /でも、こう尋ねましょう。「はたして彼らは聞こえなかったのでしょうか。」むろん、そうではありません。「その声は全地に響き渡り、そのことばは地の果てまで届いた。」(ローマ人への手紙10章18節)

◆はじめに…朝の通勤時、一日の業務の流れを頭の中でシュミレーションしながら車を走らせます。ふと気づくと、やや下向き加減で目の前の道路だけを見ています。そんな私に今日のテキストの詩篇19篇は “顔を上げて天と大空を見よ”と促します。そして業「務をこなすことが仕事ではなく、主の栄光を、業務に取り組む姿を通して顕す(告げる)ことではないですか?」と語りかけます。リビングバイブルは、詩篇19篇5-6節を「太陽はその場所から出て、結婚式の花婿のように晴れ晴れと、また、競技を前にした選手のように、意気揚々と大空を闊歩します」と記しています。このみことばに励まされ、職場に派遣されている使命(ミッション)を再認識し、顔を上げて仕事場へ向かう日々です。

◆沈黙の中(行間)にメッセージがある…今日のテキストの詩篇19篇とローマ書10章は神の啓示について記しています。それは“沈黙のメッセージ”と言えます。それは40代で聴力を失ったベートーベンが、静寂の世界のただ中にありつつ、心に鳴り響く音楽を、五線譜に音符(和音)を並べることで、不朽の名曲を後世に残したように、小さい私たち自身の心に響く福音(神のことば)に信頼して生きる生き様が、後世への遺産(証し)となると信じます。

◆全地に響き渡る声…ところで、詩篇19篇4節の「声」と訳されているヘブル語は、「和音」の語意があります。“心の琴線に触れる”という言い方がありますが、たとえ大きな音や声でなくても、ほんの世界の片隅で蚊の鳴くような声であっても、雑音にかき消されてしまうような弱い音であったとしても、心の琴線に触れるなら、響きとして伝わる。まさに福音がそのような音、声、ハーモニー、シンフォニーだと、パウロはローマ書10章18節で言っているのでしょう。

◆主の声は復活の調べ…「声」と日本語訳されているところは、ヘブル語で“קַוָּ֗ם”と表記します。マルコ5章41節の「タリタ クミ(少女よ、立ち上がれ)」の「クミ(立ち上がれ=復活せよ)」も同じ表記です。つまり“主の声は復活の調べ”と言っても良いでしょう。自然を通して、また、人を通して、そして聖書のみことばを通して、あるいは祈りや夢、黙想を通して、復活の調べなる主の声を聞くとき、私たちは、暗やみ、死の淵から再び立ち上がる活力(復活の力)を得ます。

◆結び…復活の主を信じる者は、誰一人、失望することはありません。

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