Posted on 10/22/2023 at 06:58, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『裂かれた唯一のパン』(新約に引用されている旧約 その65)(2023.10.22)

食べ物としてマナを、彼らの上に降らせ、天の穀物を彼らに与えられた(詩篇78篇24節) /私たちの先祖は、荒野でマナを食べました。『彼は彼らに天からパンを与えて食べさせた。』と書いてあるとおりです。(ヨハネ6章31節)

◆はじめに…10月10日から「恵愛園」という障害者支援施設に勤めていますが、昨日21日は開園40周年を記念する「恵愛まつり」というイベントが施設でありました。利用者の方々とその家族、それに中高生ボランティアを含め、多くの地域の方々が参加され大変盛況でした。まつりが、共に同じ地域で暮らす「障害」のある人と、ない人が、自然体で出会う場となっています。

◆物、事、方…今日のテキストは、民の度重なる裏切りにも関わらず、繰り返し赦され、一人のリーダー、ダビデを立てて導かれる主の愛です。その神の愛の出来事の一節がヨハネ6章31節に引用されています。天からマナを降らせ、民の空腹を満たした出来事です。私たち自身も含め、人は「物(もの)」つまり目に見える物質を第一にします。その最たるものが食物です。食べなければ飢えて死んでしまいます。ですから荒野でイスラエルの民は、リーダーのモーセとアロンにつぶやきました。民のつぶやきを聞かれた主は、天からマナを降らせ、民の空腹を満たされました。それはカナンの地に入るまでの40年間、絶えることはありませんでした(出エジプト16章35節参照)。マナを降らせ続け、民を養いつつ、主は、裏切りと赦しの出来事を通し、見放すことなく民との関係を保ち続けられました。

◆マナ…ところで、「マナ」とはいったい何だったのでしょうか? シナイ地方の荒野に「ぎょりゅう(御柳)」と呼ばれる木が生えています。樹皮に付着したビーズ玉のようなシロップ状の液が結晶化して地面に落ちるそうですが、これは昆虫が分泌する余剰炭水化物だと言われています。これが「マナ」の正体です。この「ぎょりゅうの木(新改訳では「柳の木」)」ですが、アブラハムがベエル・シェバ(誓いの井戸の意)に平和の契約、約束の成就の証しとして植え、傍らで主に祈った記事として創世記21章33節に記されてあります。続く22章で約束の子イサクの奉献の出来事になります。

◆裂かれた唯一のパン…ぎょりゅうの木に付いたマナは、十字架にお掛かりになられるイエス様の予表です。「神のパンは、いのちを与えるもの(=方)だからです」イエス様はご自身の身体を十字架で裂かれ、私たち一人ひとりに分けられたのです。

◆結び…イエス様の語られるひと言ひと言の言葉を味わい血肉化して生きる一週間であるよう、祈ります。

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